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こどものころから、なんもかわってない。


こどものころから、なんもかわってない。

という言葉をよく耳にする。
たしかに、あの頃イメージしてた大人になれているかと問われたら、0.00001秒でNOと答える。
もっともっと、大人だと思っていたから。

「結婚」とか、「子供」とか、「家」とか、いろんなトランプの札があって、どれを引こうか悩んでいると思っていた。

僕の前に提示されているトランプは、なんだろう。
「楽しい」とか「なんか面白そう」とか「ワクワク」とか。
大人を実感させるような、人生を左右する重要キーワードはカードの山にすらない。
しかも、極めて抽象的な、別にあってもなくても良いような選択肢ばかり。
それでも、やっぱり好奇心でそっちの山からカードを引きたくなる。


こどものころから、なんもかわってない。

あの頃は、自分の気持ちにまっすぐだった。
やりたいこと、見たいもの、言いたいこと。
少し大人ぶっていたかもしれないが、素直に人生を歩いていたと思う。
寄り道することもあったし、立ち止まることもあった。
ある程度舗装された道を歩んできたが、下り坂も、登り坂もあった。
走りたいときは走った。
息を切らして、汗をかいて、全力で。

大人になったら、スケボーを使うようになった。
足を使ってたときと比べて、滑らかに進むときもあれば、懸命に漕いでもなかなか進まないときもある。
「これ、歩いた方が早いんじゃ…?」と思うときもある。
スケボーのおかげで、スムーズに人生が進むようになったわけではない。
でも、歳を取るにつれて、時間の流れが早くなったのは痛に感じる。
もう、2020年も半分過ぎたのか、と。

滑り疲れて、乾いた喉にコーラを通す。
お酒も飲むようになれたが、やっぱりこれでいい。
あの頃、全力で走り終えた後に飲んだ味だ。


こどものころから、なんもかわってない。

食べられるようになったものは増えた。
あの頃は好き嫌いの嫌いが圧倒的に多かった。
ピーマンやピクルスや紅生姜やゴボウやガリや。
なんか苦くて酸っぱくてしょっぱくて、大人っぽい味が苦手だった。
野菜も全般的に好きじゃなかった。

でも、それらの味もわかるようになってきた。他の身体の部位は全てこどもだけど、舌だけが大人に追いついてきたのかもしれない。
大人っぽい味がわかるようになってきた。

ピーマンを除いては。
ピーマンの肉詰めは、ピーマン抜きでお願いしております。悔しいけど。


こどものころから、なんもかわってない。

あの頃イメージしてた僕は、もっとしっかり大人をやっていると思っていた。
休日の貴重な時間を、noteの自分語りに費やすとは思わなかった。
そう考えると恥ずかしいけど、打つ手が止まらないからしょうがない。

どこかで選択を変えれば、奥さんと過ごす幸せな休日だったのかもしれない。
小さい子供と戯れ合うホームドラマみたいな休日だったのかもしれない。
守るべきものがあって、夫や父親といった新しい役を貰えて、家族の一人として、笑う休日だったかもしれない。


現実はそんなんじゃないけど、嘆いているわけでもないけど、同い年が結婚していくのを見ると、やっぱり思うところもある。

こんなことしてる場合じゃないな、と溜息をつく。そろそろ大人にならないと。
そうだ、コーラで一息ついて、スケボーでご飯でも食べに行こう。
ピーマンの肉詰め、ピーマン抜きで。



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