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『こいつ、おれのこと好きなんかな⑯』


「あー、暑いですねえ…」

春と夏の間の、名前がない季節。
梅雨が始まる前の、初夏のフライングみたいな季節。
雨気と暑気が入り混じった、うだつの上がらない季節。
 
話すことがないときに、気温と天気の話をしてしまうのはどうしてだろう。
夏は「暑い」、冬は「寒い」、「晴れですね」、「雨ですね」、微妙な関係の男女の会話の行き着く先は、これに尽きる。

Siriやアレクサでもスムーズにできるやり取りだが、僕が女の子と2人きりでできる話はこれと同等、あるいはそれ以下のレベルでしかない。
 
バイト先のエレベーターで、たまたま一緒になった彼女。
ほぼ同じタイミングで入った同期だが、あまり喋ったことはなかった。
彼女も僕の存在に気付くが、やはり気まずい様子が隠せていない。
 
この時期になると、急に薄着になる女性を思わず見てしまう。
しかも、エレベーターという密閉空間。
ドキドキしながらチラ見しまくる僕に耐えられなくなったのだろうか。
うちわを手に見立てパタパタ扇ぐという、古典的な手法で暑さを表現する。
 
「あつい」という形容にはさまざまな意味を含む。
燃えているとき、恥ずかしいとき、興奮しているとき、落ち着かないとき、誤魔化したいとき…。
たしかに、この空間はとてもあつい。
東京で今年最初の夏日を観測した今日、垂れる汗がその「あつさ」を物語る。
 
扉が開いて降りる彼女。
扉が閉まり見えなくなってから、だらだら滴る汗を手で拭う。
どうして、バイト先の2階下で降りたのだろうか。
もしかして…。
 
「こいつ、おれのこと好きなんかな」

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