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ノーカウントになる前に


バスケットボールではブザービーターという言葉がある。

クォーターや試合の終了直前にシュートを放ち、手からボールが離れてゴールに入るまでの間にブザーが鳴り、そのままゴールに入るショットのことを指す。
残り時間が0になってからカウントされ、ゴールによってブザーが鳴らされたように感じられることからの呼名である。

一昔前にドラマのタイトルになったことでも有名で、バスケットのルールは知らなくても言葉だけは聞いたことのある人も多いはずだ。
あのドラマを見たことないのでわからないが、人生や恋愛はブザービーターのようなものだ、というメッセージを伝えたいのだろう、と根拠もなく思う。
最後の一秒まで、ゲームセットになるまで、試合はわかりませんよ。人生も恋愛も一緒で最後まで諦めたらダメですよ、と安西先生の声で聞こえてきそうである。

たしかに、スポーツと恋愛を絡めて、試合を進めるように恋愛模様もシーソーゲームのように展開していき、逆転に次ぐ逆転、点差を大きく引き離されるシーンがあったり、怪我で少しのあいだ休みを強いられるシーンがあったり、なんやかんやあって最後にブザービーターで大逆転、はい二人も無事結ばれる、とプロットが今すぐにでも書けそうである。
(脚本家の方がいたら偉そうですみません。こんなに簡単な話ではないことは重々承知です。あたたかい目で見ていただけると幸いです。)

さて、バスケットの試合を見ていると稀にブザービーターを見ることができる。
試合結果と関係ないショットや、クォーター終了直前のショット(バスケットは4クォーターで構成されている)もあるが、それが試合終了前の最後に放たれた逆転のショットになると、会場の盛り上がりは半端ない。客席からファンが飛び出し、チームメイトコーチスタッフ監督関係なく入り乱れ、ハイタッチやハグで喜びを分かち合う。
対照的に、最後の一秒まで勝っていて、最後の最後で勝敗をひっくり返されたチームの帰り様の哀愁も半端ない。とぼとぼと帰る様は同情してもしきれないだろう。

そして、ブザービーターがあるということは、ノーカウントもある。

試合の残り時間が0になってから打ってゴールに入ったショットのことである。
そのままの意味で、もちろんそれはノーカウントになる。
そりゃ、試合終わってるんだもん。
どれだけ審判に懇願しても、泣いても喚いても、カウントはされない。
そりゃ、ブザー鳴ってるんだもん。
どれだけギリギリでも、手の指先から離れているかどうかをリプレイで見ないとわからないくらいの瀬戸際でも、結果は変わらない。
試合が終了してからのショットは、結果に全く影響のない無駄な一撃なのだ。

ノーカウント。
それが僕に突きつけられたジャッジである。

思い返してみると、僕の人生はノーカウントで終わる試合が多かった。
なんとなく試合が進んで、負けていることがわかっていながらも、まあなんとかなるだろうと慌てず、最後の最後でヤバいヤバいってなって、終了間際になんとか最後のショットを放つも、時すでに遅し。

小学生、中学生、高校生、大学生、社会人と、それぞれのクォーターに分けたとき、逆転のブザービーターを決めて気持ち良く次のクォーターに進めた試しがない。
それどころか、終わってから後悔することの方が多い。決めておけば良かった、ならまだしも、シュート打っておけば良かったと、そもそも論にまで遡る。
山ほどある打ち損じのシュートは、意外と一生記憶から離れてくれない。


人生は後悔の連続だ。


小学校の頃にあれをやっていたら。中学校の頃にあれをしていなければ。高校生の頃にあれを言えていれば。大学生の頃にあれに入っていれば。社会人の頃にあれが出来ていれば。
振り返るとキリがない。
あのシュートが入っていれば、と試合終了後のインタビューで話すバスケット選手のように、タラレバ論を繰り返したくもなる。
その試合はもう、終わったことなのだ。

それでも、最後のピリオドが終わるまではシュートを打ち続けるしかない。

後悔をしてもゲームは止まらない。
時間は一秒一秒と過ぎていき、残り時間は減っていく。流れる時間の上を、前を向いて走り続けるしかないのだ。
転んでも、痛くても、疲れても、負けそうでも、奇跡を信じるしかないのだ。
人生はバスケと違って、いつブザーが鳴るかわからない。
であれば、いつでもシュートを打たなければいけない。いつでもシュートを打てる準備をしなければならない。
どんなカタチでもいい。綺麗な放物線を描こうが、泥臭くめちゃくちゃなフォームで放とうが、カウントされればいいのだ。
前のクォーターでシュート打っておけば…と後悔したのであれば、次のクォーターで打ちまくればいいのだ。
こどものように夢見るシュートは打てないかもしれない、学生のように希望に溢れるシュートは打てないかもしれない。
今になって、いや今しかできないと信じて、シュートを放つ。


それがブザービーターになると信じて。

結局は人生や恋愛はブザービーターのようなものだ、というメッセージになってしまったので、安西先生の声で脳内再生して読み直してもらいたい。
というか、あの一言にこの文の全てが凝縮されているので、わざわざ読まなくても良いし、スラムダンクを読んでほしい。

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