『検索窓の世界 ⑦比較』
「比較」と入力して、検索。
比べてみること。比べあわせること。
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上述の検索結果からわかるように、私たちは物事の全てを、比較して、吟味して、最良の選択をとる。
進学する大学、就職する会社、安心を保障する保険といった人生の岐路を大きく左右する選択はもちろん、自家用車、賃貸マンション、電化製品、おにぎりの具まで、およそ考え得る健康で文化的な最低限度の生活を保つための必需品でさえ、無意識のうちに比較検討して、私たちは生きている。
インターネットがもたらした情報社会の発展は、比較作業の複雑化に拍車をかけた。
溢れんばかりの情報量の増加に比例して、比較対象も山のように出現する。
明日、箱根、2人1部屋、朝食付き、露天風呂付き客室、源泉100%かけ流し、 1人3万円以下、という条件でも、比較対象は複数出て来るだろう。
出て来なければうなだれるし、出過ぎたら出過ぎたで比較に億劫になる。
この世の中は、「比較」的に見ているものの何と何が「比較」されているのかわかりづらいものが多い。
身長が最たる例である。
(※ここからは少し私情が含まれるため、口が悪くなること、誠に申し訳なく思います、すみません、ただ反省はしません)
僕は身長が比較的低い。
これは「比較的」なのである。
180cmの人と比べた途端そう見えてしまうだけで、周りがホビットだらけであれば比較的高いのである。
これは誰と比べているかと言うと、おそらく日本人の平均身長と比べて、低いか高いかが判断されてしまう。
ただ、この平均身長とは、身長が低い人がいるからこその、高い、という指標であり、それは……
この問題は話すと根深く、長くなるので、止めにしようと思う。
とにかく、高身長の人は低身長の人がいないと高身長でない、ということだけを持ち帰って、高身長仲間に吹聴していただきたい。
もし、何かコンプレックスをお持ちの方がいれば、頭に括弧付けで「比較的」というキラーワードを添えると、少しは気持ちが楽になるかもしれない。
全人類の頭部に髪の毛が生えていなければ、「ハゲ」などという人格すらも否定されそうな揶揄は生まれてこなかったのだ。
(比較的)毛量が薄いだけなのである。
また、友達が少ない、とよく耳にするが、誰と比べているのだろう。
日本人の平均友達人数(Facebook調べ)みたいな調査があるのかもしれないが、その数を正確に把握している人間は少ないだろう。
そもそも、友達の基準もあやふやである。
このように、比較対象がよくわからないのに、大小高低多少優劣を無闇につけて、勝敗みたいな形で決めつける風潮があるのだ。
月と鼈(すっぽん)ということわざがある。
月も鼈も満月と甲羅で丸い点は共通しているが、月は美しい象徴であるのに対し、鼈は顔が醜いことから、比較にならないほど違うもののたとえになった。
そもそも比較対象がおかしい気もするが、鼈が優劣の劣に当たるとも思えない。
月を見て美しいと感じるのは主観であり、鼈の顔を醜いと感じるのも同様である。
月を見ても何も感じない不感症野郎もいるだろうし、鼈を見て可愛いと思う愛亀家もいるだろう。
ありきたりな締めくくり方で恐縮なのだが、みんなちがってみんないい、のである。
Amazonで商品を選ぶとき、Uber Eatsで食事を選ぶとき、Netflixで映画を選ぶとき、Apple Musicで音楽を選ぶとき、Kindleで本を選ぶとき、ZOZOTOWNで服を選ぶとき。たくさんの選択肢の中から比較をして、自分にとって1番幸福感を満たしてくれるものを探し出す。
実は、この比較をしている時間ですら幸福に満ち溢れていることに、意外と気付かない。
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