見出し画像

未来飯店


ここに来れば、いつだって思い出せる。

東京で一人暮らしを始めた頃に近所にあった中華料理屋『未来飯店』。
カールおじさんみたいな店主とカタコトの中国人女性がぶっきらぼうに接客してくれる。
古びれた店内には長い間変わっていないであろうメニューが、そこかしこに画鋲で止められている。

天津麺、五目焼きそば、麻婆丼、酸辣湯麺、もやしそば、中華丼、餃子3個セット、ビール。


どこにでもあるような名前が、どこにもない文字の綺麗さで掲げられている。漢字とひらがなの羅列はどこか安心するし、劣化した紙はその店の歴史の長さを教えてくれる。
何年やっているのだろうか、何十年か。
当たり前だが、僕がこの街に来た頃から何も変わっていない。

「未来ラーメンに餃子3個セット、あと、ビール」
「はいよ」

カウンターに座った僕は目の前でフライパンを振る店主に注文を告げ、店主は中国人女性の店員に「赤星」とぶっきらぼうに伝える。中国人店員はアイコンタクトでそれに応じ、冷蔵庫から瓶を取り出す。

赤星の中瓶と小さなグラスが僕の元に運ばれる。グラスにビールを注ぐとちょっとだけ世界が潤った気がする。空気が変わった気がする。大人になった気がする。



あの頃に、戻れたような気がする。



僕は夢と一緒に上京してきた。

舞台役者になりたくて、地元名古屋から「東京」という街にやってきた。
なぜ東京だかはよくわからない。
劇場が沢山あるからかもしれない。俳優が沢山いるからかもしれない。演出家が、劇作家が、プロデューサーが、東京を舞台に活動することが多いからかもしれない。
とりあえず東京に来ればいいだろうと、軽い気持ちでやってきた。

高円寺の六畳一間のアパート。
家賃5万2千円。築55年。駅徒歩15分。風呂トイレ一緒。壁は薄い。

生活は厳しかったけど、芝居は楽しかった。
同じ夢を目指せる仲間を見つけた。
苦楽を共にできる友達やライバルができた。

稽古する毎日。小さい劇場で、小汚いレッスン場で、時には公園で。
深夜はアルバイト。コンビニで、工事現場で、ガソリンスタンドで。
一日二食、または一食。おにぎり2個か、菓子パン1個か、カップラーメンか。


芝居をしているときだけは、貧乏じゃない。
その役柄を演じられることが何よりの贅沢だ。
役に憑依する時間が愛おしくて、現実に戻る瞬間が哀しくて。

コツコツと積み重ねた経験が実となって、目に見える実績が増えていった。最初は脇役だったけれど、段々と中心に、そして主役に、番手はみるみるうちに上がっていった。
観客の視線を一番に集められる立ち位置で僕は輝きを放った。

そして、その視線は観客だけでなくなった。
さまざまな関係者から声をかけられ、いろいろな仕事のオファーが舞い込んだ。
それは演劇にとどまらず、ドラマ、映画、広告と多岐に渡りどんどんと増えていった。
自分の存在価値が認められ、一気にスターダムに駆け上がった。
僕は舞台上だけではおさまらない、一流のスターとして世に知られることになるのだ。



「はいよ、未来ラーメンと餃子ね」



店主自ら、カウンター越しにラーメンと餃子を渡してくれる。あったかい湯気が僕の顔を包み、視界を曇らせる。
シンプルな昔ながらの醤油ベースのラーメン。隠し味に魚介のダシを使っているのだろうか、よくわからないが味わい深い。

レンゲで汁を2、3杯啜り、麺を食べる。
喉を通って身体に染み渡ると、あの頃に戻れたような気がする。昔を懐かしむような気分にな浸れる。いつだったか、お金のなかった、無名のあの頃。

餃子の焼き加減も、生地の厚さも、種の味も、何も変わっていない。この空間だけ時が止まったかのように、何年も何十年も、大切な何かを守り続けているように。
主人も、中国人店員も、歳をとっていないのではないだろうか。自分だけが歳をとって、立場も変わって、顔つきや体型も変わって、RPGの世界に迷い込んだようだった。

あの頃の僕はもういない。弱かった、未熟だった、貧乏だったあの頃。
誰にも知られない無名だった僕は、誰からも知られる超有名俳優になった。
レベルを1から99に上げて、この店に戻ってきた。




はずなのに。




全てを食べ終え、汁も飲み干し、レジに向かう。
気付いたらカウンターは満席で、一番奥に座っていた僕は客の後ろの狭い通路を通る。客は椅子を引きながらチラリとこちらを見るが、誰一人として反応はしない。

レジでボロボロの財布を出し、残金を確認する。2250円の中から1000円札2枚を出し、お釣りの500円をもらう。なけなしの小銭を財布にしまい、カタコトの「ありがとございました」を土産に店を出る。

外は寒い。
僕は振り返って店の暖簾を見つめる。
赤い布に白抜きの文字で『未来飯店』。
薄手のコートのポケットに手を突っ込み、現実の世界に戻る。

未来飯店は過去に戻してくれるのでなく、未来を映してくれる。
そう願いながら、この店を訪れる。
あの頃と何も変わっていない自分だけど、この暖簾をくぐったら未来を演じられる。
何も変わらないラーメンと餃子の前でだけは、見栄を張った演技でやり通せる。
残された希望と、諦めきれない野望。
一滴ずつ、一口ずつ平らげて、夢に浸った時間を味わう。

「さて、明日の台本でも読むか」

未来飯店を出れば、いつだって前を向ける。
一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりと前進する。

遥か先の未来ではないけれど、
ちょっと先の未来まで。

ほんの僅か、あたたかい風がコートの隙間から入ってくる。
その風がエンジンのように身体を動かす原動力となり、歩く速度が少しずつ上がっていく。




もし、私の文章に興味を持っていただけたら、サポートお願いいたします。いただいたサポートは活動費として大切に使わせていただきます。よろしくお願いいたします。