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光を探して、理屈を飛び越えて、僕はダイブした

※この話は、感動を共有するライブレポートではありません。
僕のしょーーーもない人生の自分語りです。


「見える景色が違うねん」

ばりばりの神奈川出身の友達が、なぜか関西弁で僕にこう言った。

2018年9月に開かれたHi-STANDARD主催のロックフェス・AIR JAM。
まだ夏の照り返る日差しがガンガンに当たるスタジアムの中、僕は最前から7列くらい後方の位置で、もみくちゃにされていた。
小さな僕の影は、どこにも伸びずに、走り回る僕にぴったりとついてくる。

僕はあの頃、モッシュやサークルには積極的に入るけれど、ダイブは絶対にしない"ダイブ反対派"の主格とも言える存在であった。
「ダイブする人の意味がわからん」「あんな危険なことして何の徳があるんよ」
正論めいた台詞を口々に吐いた。誰にも聞こえないように。ひっそりと。

小声で呟いた僕の戯言を、一緒に行った友達は聞き逃さなかった。
彼は"ダイブ賛成派"の筆頭であった。
「じゃ。」と吐き捨てて、幾つもの闇の向こうへ飛び込んで行った。
命を投げ出して戦場へ向かう戦士さながら、妻と子供を置いて単身赴任先へ旅立つ父親さながら。

そんな彼が、ダイブをする理由を一言で言い放った。颯爽としていたが、僕にはよく意味がわからなかった。依然として、反対派の理屈ある意見が勝っていると思っていた。

そんな考えは、一瞬で覆る。
革命とはこういうことかと、まざまざと思い知らされた。

あの日、僕は夜の海に飛び込んだ。
そして、広がる景色を見て呟く。

「うわあ、えぐいて」
なぜか、関西弁になる。

人は死に直面したとき、これまでの人生がハイライトとなって映し出されるという。
揺れる人波の上に飛び乗って空を眺めたとき、僕の人生がフラッシュバックされた。
あまりにもドデカい黒い空がスクリーンのように見えて、僕はとてつもなくちっぽけな人間だと気付かされた。

あの日僕の脳内に映し出された映像は、語る程でもでない、しょーもない走馬灯である。いや、走馬灯と呼ぶにもおこがましい。もし、僕の走馬灯を作る職人がいるとすれば、気品な犬とか猫に時間を充てた方がよほど有意義になるだろう。きっと、僕の人生よりも絵になる体験を形にでき、満足するに違いない。


そんな、名も無き走馬灯が回りだす。


アコギを引っさげ、小田急線の満員電車の波へ、ダイブした記憶

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軽音楽部がない私立高校に通っていた僕は、ギター音楽同好会なるものに所属していた。
元々ギターが家に転がっていたこともあり、バンドを組もうと思っていて、そのときハマっていたユニコーンのようなバンドに憧れを抱いていた。

しかし、厳しい校則の学校であることから、"軽"音楽という軽々しい名前が付けられた音楽は認められていなかった。「"軽"食や"軽"装備くらいの気持ちでやるなら、音楽など奏でるな、"重"音楽をやれ」という全国の音楽教諭の声が聞こえてきそうである。

そんな学校を相手に、さまざまな困難を乗り越えて軽音楽部を作りバンドを結成する…といった青春映画ではなく、僕はただ大人しくアコースティックギターを奏でていた。ちょこんと座りながら軽快に弾く姿は、それこそ"軽"音楽だったのではないかと、今更ながらに思う。

そんな話はさておき、僕は大きなギターを背負いながら毎朝電車に乗っていたのである。
小田急線の最寄駅から下北沢駅までは30分程ある。朝7時〜7時半という濃厚接触のボーナスタイムのような30分間。さまざまな想いや嫌悪や汗が入り混じった30分間は、神様が作り出した試練LEVEL-1なのかもしれない。

それくらい辛く、苦しかった。

それに加え、ギターという、文字通りお荷物を背負っているのだ。身長ほどはないが、甥っ子くらいの背丈はありそうなサイズ感である。
ホームでドアが開くとき、車内にいる人の目が、「これを、ここに???」と収納スペースにピッタリはまるか疑う通販番組のサクラのような目をしていた。
通販番組と異なる点は、しっかりと車内に収まっても褒められることはなく、むしろ嫌悪の目がただただ、30分続くだけである。本当に目線が痛かった。あのときほど、ドラえもんの「石ころぼうし」を求めたことはない。いや、「スモールライト」でギターを小さくしてしまってもよい。
いずれにせよ、ギターのポジショニングを保つのに精一杯だった。

あの日、車内は人身事故の影響で特に混雑しており、僕はもうほぼ浮いていた。
どういう状態でこうなっているのかわからないまま時間が過ぎていく。

順調に停車駅に停まっていたが、あらゆる人の動作や悶えの蓄積により、ギターケースのチャックが徐々に開き、ヘッドの部分が剥き出しになってしまった。
僕はヤバいと思って仕舞おうするが、手が自由に身動きをとれない。
そのとき、猫の手も借りたい気持ちが伝わったのか、どこからかギターに手が伸びる。純粋な僕は、優しい人が気を遣ってチャックを閉めてくれるのだと願った。

しかし、そんな願いとは裏腹に、手は色々な方向に動き回っている。その根っ子となる人の姿は、汗だくで苦痛の表情に歪んでおり、そんな優しさなど持ち合わせていないことは簡単に見て取れた。

無造作に動く汗ばんだ手が、ギターの弦を華麗に弾く。

神様が作り出した試練の30分間の中で聴いたあの音色は、この世のものとは思えない、不思議な音がした。おそらく、あの音程の音は誰にも弾けないだろうし、いろんなシチュエーションが重なった上の偶然の産物である。
そんな音がギュウギュウの車内の癒しになるはずもなく、余韻さえも悲しく、気まずい。
そんな空気など知る由もなく、電車はただただ走り続ける。

満員電車の波に呑まれ、ギターを奏でながら、僕はダイブした。

誰もいない江ノ島の海へ、ダイブした記憶

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夜に江ノ島へ車で行くのがカッコいいと思っていた。免許をとりたてのあの頃は、遠すぎず近すぎずの距離感と「海を見る」というあてもない旅感に惑わされ、しょっちゅう江ノ島へ車を走らせていた。

サザンを流しながら海辺の道路を走るという、ベタofベタな展開を通過して浜辺に到着する。
駐車場の位置に迷いながら、カッコよく一発で決められるよう注意しまくった結果、全ての動作が挙動不審になるまでがお決まりである。
白線に対して斜めになった車体を見つめ、「まぁいいか」と思う。
そこの駐車場には、車は一台もない。

平日の夜の江ノ島は本当に静かだ。
波の音だけが聞こえる世界は、どこか幻想的で、ちょっぴり怖い。
真っ暗な海の向こう側は何も見えないようで、薄っすらと奥が透けている。
「あの先に何があるんだろう」と冒険家のような気持ちには1mもならなかったが、冷たい海の温度には、やっぱり興味があった。
どんなに大人ぶってても、どんなにカッコつけようとしても、そこに海があれば飛び込みたいのだ。ピーターパン症候群と並んで、誰しもが持っている問題の一種であると思う。

ファミマで買った氷結の缶チューハイを片手に、友達と3人で歩く。
まだ夏とは言えない時期だったが、天気予報では毎日のように8月並みの気温と報道されていた季節。夜になっても半袖短パンで丁度いいくらいで、波風が気持ち良かった。

5%のアルコールで酔えた僕らは、海水の潮の匂いだけで気分が上がった。
何を話したかは正直全く覚えていない。
ただ、海っぽく、波っぽく、夏っぽい歌を歌いながら歩いた記憶がある。
「波乗りジョニー」「楽園ベイベー」「純恋歌」
今思えば、「純恋歌」は湘南乃風が歌っているだけで、夏の曲ではなかったような気がする。
そんなことは関係なしに、ラップ部分を馬鹿みたいに歌った。
「大親友の彼女の連れ」や「変なあだ名で呼び合うバカップル」はいなかったが、それでも楽しかった。あんなにベタな歌詞を、ベタなシチュエーションで、ベタな男達が歌う。
そんなKing of ベタな夜の締めくくりは、やっぱり海へのダイブである。

成功も失敗もなかった20代そこそこの僕らは、何も考えずに飛び込むことを選んだ。
それをしたことで、メリットは一つもない。服が濡れた後の賢者タイムのような時間が訪れることを知っていても、やっぱり気持ちいいのだ。ピーターパン症候群でもあり、マスターベーション症候群でもあったのだ。(※そんな言葉、ありません)
思いっ切りダイブした僕らは、「純恋歌」のサビを歌う。

目を閉じれば 一番光るお前がいる
初めて一途になれたよ 夜空へ響け恋の歌

エモさのカケラもない声とめちゃくちゃな音程で歌う僕らの前に、観客は一人もいなかった。

目を閉じても誰もいなかった夏の日、江ノ島の夜の海へ、僕はダイブした。

休憩4,980円のラブホテルのベッドへ、ダイブした記憶

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横浜のみなとみらいへドライブに行くという名目で、煌びやかなラブホテルに入る。
大学生だった僕は、そういう場所に入ることに憧れていた。
ラブホテルという存在は知りながらも、そこは未知の世界で、中には何が待っているのだろうと、さまざまな文献を読み漁った。
どうやら、回るベッドや光るお風呂があるらしく、どこかの国の王様気分になれるようだ。

小田急線から「Yesterday」という名前のラブホテルがいつも見えていて、その外観も僕の気持ちを高揚させた。
おそらく、夢のような時間を「Yesterday」と名付けたのは、ポール・マッカートニーとこのホテルの支配人くらいだろう。

そんな某テーマパークのような場所に、初めて入ったときの記憶が蘇る。
フロントには幾つもの部屋が商品のように並んでいて、どれにしようか、と小慣れた感じを出しつつも脳内フル回転で選ぶ。
部屋のレベルによって値段が異なるため、少しでもいい部屋にしたいという見栄と、財布の中身を思い返しながら、安めの部屋に抑えたいという本音が同居していた。
そんな葛藤と戦いながら出した結論が、休憩180分で4,980円である。これが高いのか安いのかは未だにわからない。でも、あの頃はなんか丁度いいラインを攻めてると思っていた。なんとなく。

部屋に入ると、初めてのことでいっぱいで、普通にテンションが上がった。
風呂も大きいし、テレビも大きいし、冷蔵庫に無料の水が入っているし。
たった5,000円くらいで、これが手に入るのかと、なぜか部屋を買った気持ちになって寛ぐ。
あの頃の気持ちを取り戻せないのも悔しいが、彼女の前で純粋に高ぶった気持ちに恥ずかしさもある。

なによりベッドが大きかった。
キングサイズと呼ばれるのだろうか、実家の家にもあれだけの大きさのベッドはなく、小さな僕には余りある程であった。
枕元には、空調や電気の調節をするつまみがあり、それで有線のチューニングもできる。

流れていた音楽はピアノだけの上がりも下りもしない曲で、どこか部屋に似合わない。
興味本位で次々と局を変えてみる。
全然知らないアイドルの歌は、どこか昭和を匂わせたし、少しロマンチックなメロディは、大人な雰囲気を漂わせた。
オルゴールの綺麗な音色にしたときは、なんとなくシルバニアファミリーの一員になったような気がした。

何にしようか迷ってる時点で、童貞感丸出しだった僕は、少しうるさかった音を消す。
無音になった部屋は、それはそれでこの部屋に相応しくなく、ボリュームを少しだけ上げる。
聞こえるか聞こえないか微妙な音量の部屋で、よくわからない音楽がダラダラと流れている。

そういうライブもたまにはいい。そして、わからないなりに楽しめる自分も、なんかいい。

そんなことを思いながらふかふかの白いベッドに飛び込む。

休憩4,980円のラブホテルのベッドへ、知らない有線をBGMにかけながら、僕はダイブした。

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舞台はAIR JAMに戻る。

こんなしょーもない走馬灯の数々も、僕にとっては数少ない思い出の一つである。
いつか年を重ねて振り返ったとき、輝いていたと思える日がくるかもしれない。
あの頃は恥ずかしかった気持ちも、どうせいつかは笑い話になるのだから。

そんな気持ちの中、Hi-STANDARDが「STAY GOLD」のイントロを響かせる。
ベースの難波章浩はこう叫ぶ。

闇にいるなら光を探せ
光がないなら自分が輝け

震えた身体が人の波を掻き分けるのに、そう時間はかからなかった。
どんどんどんどん前に進んで高まった気持ちは、僕の身体を持ち上げて、気付いたら空を眺めていた。
過去を振り返ったときに、こんな自分がどう映るかはわからない。
記憶に残るかも、走馬灯の一つになっているかも、わかりゃしない。
もっともっといい景色がこの先あるのかもしれないし、そんな景色を信じて、これからも光を探し続けるしかないのだ。

あの日見た景色と音楽。
真っ暗でおっきな空と、汗と熱気で光った人の波と、轟音に鳴り響くバンドの音。
全てひっくるめて、見える景色が違った。
友達が唱えた論は、圧倒的な説得力を持って僕の信念を突き破る。
徳とかメリットとか、そんなもんじゃない。
ダイブすることが、感情の沸点の頂点に達したことを知らせてくれる。
そこには、理屈なんて存在しない。
僕は"ダイブ賛成派"の筆頭に一瞬で寝返ることになる。くるくると回るダイバーのように。

あの日あの時、ダイブした人なんて何百何千といるだろう。
さまざまな想いや熱量を持って、バタバタともがきながら、前へ前へと泳いでく人の波がそこにはあった。


たくさんの光が灯る中、僕が一番光っていると強く信じて、闇のような海へ、僕はダイブした。


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この文章は、【#キナリ杯】参加のため、書き下ろしました。岸田奈美さん、執筆の機会を頂き、ありがとうございました。

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