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サマー・ショート・フィルム


たしか、あれは遠い夏の記憶。
遠いようで、近い。短いようで、長い。
小さかったけれど、大きいふりをした、そんな夏の日。

僕はスライド式携帯を使って1本の映画を撮った。夏休みのある日。誰もいない校庭。陽射し刺す午後。
登場人物は幼馴染の芽衣、たった1人。

小学校の校舎はいつもより小さく、いつもより寂しそうに見えた。
生徒が1人もいないだけで、声が聞こえてこないだけで、それは空っぽのようだった。
空と太陽はそんな無機質な建物を照らし、入道雲はそれを防ごうとする。

見飽きた夏のシーンをバックにして、芽衣はサイダー缶のタブを開ける。
プシュッと心地よい音が響く。
どこか懐かしい響きが僕の耳に残る。
喉を通って弾ける炭酸が芽衣の表情を歪めさせる。その表情を合図に、僕は携帯の録画をスタートさせる。

芽衣はその合図の音に気付いた瞬間、恥ずかしそうに画面を掌で隠す。
「やめてよ」という笑い声が別人のように聞こえる。逃げるように走る芽衣は幼くもあったが、振り返って手を振る姿は大人びて見える。

小さくなった芽衣の後ろには校庭が広がっていて、画面を通して見ると狭い箱に閉じ込められているようだ。
芽衣はその箱の中でサイダーを飲み干し、缶を逆さにして空になったことを伝える。そして、その缶を青天井めがけて思いっきり投げる。


もちろん、何にも届かない。
空にも、太陽にも、雲にも。
それでも、画面からは一瞬だけ消える。
そしてまたすぐに、上から缶は降ってくる。


缶は地面に当たってカラカラと少しだけ転がる。こっちに近づいてきた缶に画面が寄っていく。缶中心の画面になり、そこにオレンジのサンダルが踏み入ってくる。
屈みながら缶を拾い持ち上げる芽衣はやっぱり大人びていて、無邪気に笑うとすぐに子供に戻る。


たった5分の映画が終わった。

僕はスライド式携帯の充電コードを握りながら、あやふやな感傷に浸った。
この動画を撮ったのがたしか、10年前。
大学生だった僕は幼馴染の芽衣と母校の小学校に訪れ、当時最先端の携帯片手に遊んでいた。
あのサイダーは何だったろうか。
当時流行っていたラベルだったか。今でも馴染みのある銘柄か。コロコロと転がるサイダーは、僕の記憶のどこら辺にあったのだろうか。

記憶とは曖昧なもので、僕はこの動画の存在を忘れていた。ガラクタに紛れていた携帯に久しぶりに触れたとき、ふと思い出した。
そして動画を見て、このときの視界と感情が一気に蘇った。


小学校って、こんなに小さかったっけ。
校庭って、こんなに狭かったっけ。
芽衣って、こんなに大人だったっけ。

10年前に感じた記憶。
そして、20年前に感じた記憶。

あの頃は全てが大きく感じたに違いない。
自分の家の何百倍もあるような校舎。走っても走りきれない校庭。
手を伸ばしても、背伸びしても、追いかけても。20年前の視界は見上げるような景色ばかりだったに違いない。


10年経って、それは目線が同じになったようだった。
意外と大きくないな。意外と広くないな。
そんなありふれた感想があったことを、また10年経って思い出す。
小さい画面を下に見ながら、20年ってこんなものか、と。

地元を離れた今、この学校がまだあるかどうかもわからない。ネットでググれば今の学校の写真が出るだろうが、そんなことをしたくない。
あのとき見上げた世界も、今となってはどこにでも手に入る。
調べようとすればすぐに調べることができる。
でも、それをしたくない自分がいる。


芽衣は今、何をしているのだろうか。
結婚したのだろうか。

32歳になった今、大学までは頻繁に遊んでいた僕らだったが、僕が就職で上京したのをきっかけに会っていない。たまに帰省するときも何となく恥ずかしくて、連絡できていない。
そもそもLINEも知っていただろうか。メールアドレスの変更を送っていなかったのかもしれない。電話番号が変わったのかもしれない。
もしかして、どこかへ引っ越しているのかもしれない。


子供だった芽衣も、大人びた芽衣も、全部知っているようで、今では何も知らない。
そう思うと、この画面に映る女性が別人のように見えてくる。
それと同時にこの動画の儚さが、何だか奇跡のように思えてくる。


僕はこれを短い映画だと思うようにした。
主演女優は近く、遠い存在だ。
そして、ここに映るものが全部。

近いようで遠い、あの場所も。
小さいようで大きい、あの校舎も。
狭いようで広い、あの校庭も。

サイダー缶は一瞬だけ画面を飛び出して、すぐに地面に落ちた。
この記憶もすぐにどこかに抜けて、またいつか僕のところに戻ってくるだろう。

そのときはどう思うだろうか。

あやふやな世界が広がって、1本の映画を見終えたような気持ちで画面を上に見上げるかもしれない。
そう思えたら、この主演女優のことをもっと身近に感じられるかもしれない。
また幼馴染として、この画面の場所で会えるかもしれない。

そんな未来を妄想しつつ、僕は充電ケーブルを引っこ抜いて、真夏の電源を落とす。


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