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いつかのトークルーム


「いつのまにか、2人になっちゃったね」

見覚えのない誰かのアイコンが、僕に向けて話し掛けてきた。僕はスマホのロックを解除してその部屋を開く。

そこは「○○が退会しました」の文字が虚しく羅列され、時間だけがただ過ぎ去っていた。
最後の投稿から10年。元々は20人もいたトークルームも、気付いたら僕と彼女の2人だけになっていたようだ。

大学サークルの仲良しグループでつくられたその部屋を僕は遡る。


卒業式で最後の記念撮影をした。
卒業旅行へトルコのイスタンブールに行った。
魚民でやった忘年会で朝まで飲み明かした。
学園祭でカレー味のフランクフルトを売った。
奥多摩のBBQでキャンプファイヤーをした。
サークル対抗スポーツ大会のバスケで優勝した。
昭和記念公園の花見で乾杯をした。
新歓コンパで僕らは出会い、LINEを交換した。


冬から秋、夏、春へと、当たり前の四季が反対から巡っている。4年から1年へ、遡れば遡るほど、僕らはあどけなくなっていく。
はしゃいでいた季節を、何だか照れ臭くなって、目を背けたくなって。

たった4年間の僕らのちっぽけな時間を、この部屋はずっと残していた。
誰も戻ることのしなかった部屋は、過去の思い出だけが散らかっている。
そこでは他愛もない会話が繰り広げられていて、恥ずかしい写真が飾られている。

「久しぶりだね」

僕は巻き戻った時間を一気にスクロールして、現代に戻った。あの頃の追憶は一気に加速して燃え尽き、ひとりずつ部屋から消えていった。良かったことだけを思い出そうとするけど、うまく思い出せない。
 
キラキラした青春。スナップ写真のように色褪せた記憶。乱雑な会話。古めかしたスタンプ。僕らだけの大切な部屋。

「久しぶり。元気だった?」

そう尋ねてくる彼女を、僕は知らない。
見覚えのない名字をぶら下げたアイコンは、生まれたての赤ちゃんが映っている。
この10年間で皆、何が起こったのだろう。何が変化したのだろう。
大学を卒業して、社会人になって、結婚して、子供が生まれて。当たり前のような人生のイベントを、今度はどこか違う部屋で、僕らの知らない誰かと、同じ時の流れでひとつひとつこなしていったに違いない。


今では誰のことも覚えていない。
あんなに仲が良くて、笑い合って、語り合った仲間の顔。下の名前で、あだ名で、呼び捨てで、何度も口にした仲間の名。

着ていた服。学食のメニュー。カラオケの選曲。飲み会のコール。貸した金。先輩のイジリ。あの日、あの夜、あの頃の記憶。四季。
全部、全部。

桜は咲いて、太陽に照らされ、紅葉を踏みつけ、霜に触れる。出会いと別れを繰り返して、同じような季節を廻り、廻っている。
10年という歳月だけが、ただただ過ぎていって、ポツンと残された部屋。
この部屋ではまだ若かりし頃の僕らが、冗談めかしながら青春を謳歌している。

「元気だったよ。さようなら」

いつまでも大人になれない。
あの頃に戻れないという現実だけが、この「今」にある。増え続ける部屋の数だけ、閉ざされた思い出がある。
僕は『退会』ボタンをタップして、溢れ出そうな感情に鍵をかける。

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