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祭らない夏を待ちわびて


夏を待ちわびることを「夏わびる」と名付けようと思う。

なんだか夏に詫びているみたいだが、夏の到来を心待ちにしている様子を指す。
梅雨の終わりの蒸し暑い温度や長くなった夜を突き抜ける風。

毎年この時期はスケジュール帳も賑わい出し、予定の衝突を避けるのに苦労する。
夏に会いたい人が大勢と押し寄せてくると、さらっとカレンダーを奪っていく。

「今年は誰も経験したことのない夏になる」

ニュースの記事のタイトルとは思えない、青春小説の書き出しの一文のようだ。
今年は例年とは違い、夏の風物詩があまりやってこない。
甲子園、夏祭り、花火大会、海の家、フェス、納涼船…。
夏の匂いをたっぷり含んだ数々が、「中止」という残酷すぎる二文字で消滅した。
夏に全てを懸ける人たちの想いも、その瞬間に弾け飛んで無くなる。
高校球児や花火師やライフセーバーが彩ってきた夕方の夏の画面は、何に代わるのだろう。

夏はお祭りのような騒がしさにぴったりの季節だ。
人混みは嫌いだけど、うるさいのは苦手だけど、夏なら許せる。
気分が高揚して、夏くらいはシャツの袖をまくって、ボタンを2つくらい外して、少し大胆になる。
開放感を焦燥感で上塗りし、ウズウズしてしまうのが恥ずかしくなる。

でも、そんな気持ちも、夏なら許せる。
「だって、夏だから」の軽い一言で済ませてしまう。

今年はそんなお祭りのような夏はこないかもしれない。
けど、何かに取って代わった夏が、恥ずかしそうな表情でやってくるだろう。
「オンライン夏祭り」もあるかもしれない。「リモート海の家」や、「ドライブイン花火大会」が生まれるかもしれない。
夏だってたまには変わりたいときもある。
「おれ、こんなんもできるねん」とバラードを歌うロックミュージシャンのように。


夏のバラードに耳を澄ませてみよう。

夕方6時のスーパーからの帰り道は、帰路を楽しむ人たちで混み合ってくる。
親子連れは冷やし中華の具材を片手に。カップルはTSUTAYAで借りた「サマータイムマシンブルース」を片手に。サラリーマンは冷えた缶ビールを片手に。
それは紛れもなく夏の到来を告げる景色だった。
冬は暗いのに、全く暗くならない時間帯。
キラキラして、ワクワクして、どこか切なくなる時間帯。
今年はお祭りのように騒がしくもないけれど、ゆったりしたバラードのように夏を楽しむのも悪くないだろう。

大渋滞だった夏のスケジュールも、今年はまだ空白が多く、そんな夏を待ちわびる。
夏の夕方にイヤホンから流れてくる音楽たちのプレイリストの題名を「夏わびる」と名付けて、気分を高める。
サンダルを履いた足は少しずつ速くなり。
片手には何を携えようと、少年に戻ったかのような笑顔で。


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