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『グリッドマン ユニバース』感想──夢みたいなことばかり起こってしまう物語

『SSSS.GRIDMAN』と『SSSS.DYNAZENON』について語るうえで必ずといって良いほど指摘されるのは、その会話劇の自然さ、ひいては人間ドラマの秀逸さだ。特撮アニメという非常にオタク的な題材を扱いつつ〝萌え〟に頼らない人物造形と脚本に裏打ちされた危なげない話運びが魅力だ。
 両作の直接の続編にあたる映画『グリッドマン ユニバース』も相変わらず人間ドラマが滑らかだ。マルチバースもののお祭り映画は近年流行りのジャンルではあるが、勘所も押さえつつシリーズとしても話をしっかり進めた、きわめて丁寧な映画だったといえる。一方で、そうした作劇をやっていく上での制作陣の試行錯誤のようなものも垣間見えた。

『GRIDMAN』の続編を作る上で壁となったのは六花の立ち位置だろう。六花はもともとアカネとの関係として重要な役割を果たすキャラだったから、アカネ退場後の立ち位置は曖昧だった。(これは『DYNAZENON』の夢芽が戦いに参加するヒロインだったのとは対照的だ。)
『ユニバース』において六花は学園祭の演劇としてグリッドマンの物語を翻案しようとする。脚本作りに関する一連の展開を制作陣の苦悩を反映したメタ発言であると読むのは容易だが、話はそこまで単純ではない。ここでは、自分たちの宇宙がアカネによって作られた物語であると知っている六花が、あえてそれを自分たちの物語として再解釈するところに意味がある。この物語全体の読み手であり書き手であるというのが『ユニバース』における六花の立ち位置だ。
 そして『ユニバース』のメインストーリーラインは響裕太と六花の恋愛だ。前作で裕太と六花の関係が煮詰まらなかった理由は作劇上の要請と思われるが、それも含めて「告白が遅すぎる」ことがストーリー上のポイントになっているのはテクニカルだ。
 裕太と六花の告白を妨げる要因として『ユニバース』では「六花の彼氏(?)」が登場するが、これはあまりにもベタな展開だし、誰も本気には取らないだろう。実際、裕太は誤解が解けても告白を躊躇し続けている。本質的な障壁はむしろ裕太と六花が共有できていない「2ヶ月間の空白」だ。そしてそれを乗り越えるためには、ふたりが互いを理解するうえで歩み寄る必要があった。
 六花は脚本を完成させるなかで、裕太をより深く理解することになる。完成した脚本は六花や内海の意図とは違うところで観客にウケるわけだが、それでも別に構わない。もう六花と裕太の距離は埋まっているのだから。

『GRIDMAN』シリーズにおいては、登場人物たちの日常と怪獣との対決という非日常が平行して語られる。非日常と日常とはあくまで等価値で、日常は怪獣を倒して戻るべき場所ではなく、怪獣と戦いつつもだらだらと続いていく。日常のさりげない会話表現を丁寧に描写していく姿勢もこうしたスタンスを反映している。
 なぜ日常と非日常とを並列して語ることができるかといえば、それは人間が現実と虚構とをごちゃまぜに信じることができる存在だからだ。『ユニバース』作中でも人間が国家や宗教といった形のないものを信じているという指摘されているが、突き詰めていけば現代社会というシステムは形のない「物語」にすぎず、その脚本に沿ってみんなが「社会人」を演じているから成り立っているにすぎない。それはいわば怪獣と超人がそれぞれ「敵」と「正義の味方」を演じて、大仰なプロレスを繰り広げた後に最後には必ず正義が勝つという特撮の物語と本質的には違いはない。
 だからこそ『GRIDMAN』シリーズでは、日常の「社会生活」と非日常の「怪獣との対決」の両方に対して、真剣に向き合っていくというスタンスが取られている。リアル調の人間ドラマと、完全に非現実の特撮バトルとを両立させるために、このシリーズでは丁寧な論理が作り込まれている。裕太たちはこの世界の虚構性を自覚しているが、それはかれらが生きるのをやめる理由にはならない。
 そして日常と非日常がシームレスに繋がっているからこそ、六花が脚本作りを通してグリッドマンの戦いを再解釈し、裕太をより深く理解することで、物語の山場である告白へとなめらかに繋がっていく。これが本作の妙味だ。

 そして本作のテーマのひとつは「再会」だ。ガウマと蓬、ガウマと姫、裕太とグリッドマン、新世紀中学生と六花たち、ちせとゴルドバーンなどなど、無数の再会が物語に織り込まれている。『GRIDMAN』放送から5年が経過したことも本作の同窓会っぽい空気感に拍車をかけている。
 しかし昔を懐かしむだけでは終わらない。新しいものを作り出していかなければならない。それは再解釈でもあり再構築でもある。これはマルチバース系作品が単なる空騒ぎに終わらないためにも重要な視点だ。『GRIDMAN』シリーズは日常の破壊と再生の先にある「(非)日常」を描き続け、ついにマルチバースの概念をも自作の土俵に持っていくことに成功した。
 そんなことを考えながら主題歌「uni-verse」を聴いていると、「夢みたいなことばかり 起こってしまう物語」というの歌詞は韻としても主題の捉え方としても美しいなあと思わされた。

 もっとも、『ユニバース』は全体的に『GRIDMAN』の色が濃く、『DYNAZENON』側の掘り下げは少なめだったように思う。次作はどのような展開になるのかまだわからないが、そのあたりも含めて今後の供給に期待したい。


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