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猫塚③

百合子はうつむき、机の下で人差し指を握って耐えていた。
授業中も指が痛んで集中できない。
痛みが頭まで揺さぶるように疼く。

「斎藤さん、どうしたの?」
「……」
快活な百合子からの返事はなく、うつむいたままだ。
担任教師の中野は顔をのぞいた。
すると陶器のように白くなり、瞼をきつく閉じた顔があった。
「やだ、顔色わるいじゃない。保健室行こうか?」
小さい頭がこくりと動くのを確認して、中野は百合子を保健室に連れて行った。

養護教諭が確認したときには、百合子の指は真っ赤に腫れあがっていた。
発熱もあり、玉のような汗が額に浮かぶ。
「傷口からばい菌が入ったのかしら。熱も高いし、お迎え呼びましょう」
「わかりました。親御さんに連絡します」

頭が混とんとする中、どうやら帰ることになりそうだということは理解できた。

--私、熱があるの?指を怪我しただけなのに……

そのまま意識を手放し、気づけば自分の部屋だった。
額には濡れタオルが置いてあった。
窓の外から猫の鳴き声が聞こえて、体を起こした。
また、野良猫だろうか。
風が木々を揺らしうるさいほどなのに、盛りのついたような鳴き声ははっきりと暗闇に響く。
急に犬小屋で丸くなっているであろう小春を思いだした。
自分が倒れていて餌をやれなかったが、家族はだれかそのことに気づいているだろうか。
「小春のとこ…行ってみようかな…」
熱が引けた体は怠いが、軽い。
百合子は小春のもとへと向かうことにした。
部屋を出ると、長く冷たい廊下が伸びていて、月明りで明るい。
窓の多い家でよかったと胸をなでおろした。
電気など点けようものなら家族に気づかれてしまうかもしれないからだ。
歩き出そうとした時、足元で白い影が横切った。
家の猫だ。
廊下の先にも数匹確認出来て、みなこちらを見ている。
丸いガラス玉のような目が、百合子に集中していた。
「ごめんね。少し通してね」
猫らに声をかけた瞬間、また外で猫の声がした。
すると目の前の猫たちが一斉に立ち上がった。
伸びをするように背を一瞬丸めて、尻尾を大きく膨らませた。
今にも威嚇の声が聞こえそうな表情をしている。
一歩でも進めば、襲い掛かられそうな…それほど鬼気迫っていた。
ここまで猫に追い詰められたことが過去あっただろうか。
まるで百合子に部屋に戻れというような雰囲気であった。
大きい猫もいる。何度も引っかかれた経験があるが、とても痛かった。
するどく細い牙で噛みつくこともある。
幼い百合子にとって痛みは恐ろしく、部屋に戻るほか選択肢はなかった。

「百合子。起きたの?」
ドアに手をかけたところで母親に声がした。
トイレに起きていたのだろうか。廊下の奥から姿が見えた。
猫らはさぁっと散って、一匹は母親に抱かれた。
「う、うん。トイレに……」
「そう。起きれるほどになってよかったわ…熱は?もう大丈夫そう?」
額に手のひらが当てられる。
ひやりとした母親の手に、ぞわりと鳥肌が立った。
「……うん。だいぶよくなったみたいね。トイレ行ったらすぐ寝るのよ」
「はい……」

「……小春の面倒は私が見とくから、犬小屋行こうとしちゃだめよ」

母親から小春の話が出たことに驚き、顔を見上げた。
するとそこには能面のような顔があった。
先ほどまでに心配そうな表情ではない。
抱かれた猫も口を開いて牙を見せつけている。

外から、また猫の声がした。

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