雨森れに
書かない日を作らないための悪あがき。 拙いバタ足はいつかクロールを泳ぎ始める。 日々の衝突を記録する。
雨森が集めた怪談。 こっそり怪談イベントの感想も。 ※朗読や語り利用されたい方はご連絡ください。 内容の肉付け含め相談OK。勉強中のため無償です。
手指にまつわる怪談噺卅話。 手の仕草が呼び込んだのは、こんな物語だった。 -ほら、離れないよう手を繋いで。 -それは祈るように指を折っていた。 -その時に初めて気が付いた。触れられないのだ。 あなたの手指、本当にあなたのものですか? 1、手をつなぐ 2、指切り
猫の声が耳から離れない。 ある時から始まった怪異。 きっかけは恐らく自分だと話す提供者。 都内のある家で今も続く恐怖とは。 『とにかく猫を絶やすな。可愛がれ』という言いつけの意味は。 ※3名の提供者から頂いた話を創作を混じえてまとめました。 ※初めての長編(連載)なのでご意見頂けたら幸いです。
お久しぶり。 生きてる? 生きてるよ。 笑ってる? 笑ってるよ。 不機嫌な空を見て、湿った空気をひと呼吸分。 太陽に負けたアスファルトが、雨にも負けた匂いがした。 ※ 電車に乗る時にふと思い出した。 「あなたは自分が傷つくことには敏感で、他人が傷つくことには鈍感」 だから叱れないと、アルバイト先の上司に言われたことがある。 「プロ」ばかりがいる飲食店で、他のチェーン店とは勝手が違った。マニュアルはあるようで無く、無いようであった。 食材を調べるのは自分の目と鼻。触った時
林田くんはコンビニ店員だ。 フルタイムでシフトに入り、主に深夜帯で勤務していた。 慣れているとはいえ、客足が遠のく午前三時あたりになると眠気がやってくる。 防犯上、事務所にばかりいるわけにもいかない。 その上、彼は一度寝てしまうと起きれないタイプのロングスリーパーだったものだから、何がなんでも起きていなければならなかった。 ある夏の夜。深夜三時を回った頃。 うつらうつらしながらレジに立っていると、客が入ってきた。 白いワンピースに黒いキャップ、いかにも最近風の女性。 彼女の
前上さんは古物商の真似事をしていた。 古いものを買っては、フリマアプリや本物の古物商に持ち込み、金を稼ぐ。 ある時からはホームレスに換金すると声をかけて、協力してもらっていた。 その中のひとり、ヤスイと名乗るホームレスが持ってくるものは格別だったそうだ。 古い陶器やら細工物が多く、それらは高く売れる。 だが、ヤスイはそれらに添えて必ず何枚かの白黒写真を持ってきた。 前上さんとしては写真はあまり価値がなく必要なかったが、ヤスイが全部引き取れとうるさいので残らず買い取っていた。
かな恵さんは、小学校に通う歳になってもおもらしが直らなかった。 それもいわゆる大のほう。 排泄は便所でするものだと頭では理解しているのに、いざとなると体が動かない。 漏らすことは恥ずかしく、せめてもの抵抗として足をきつく交差させて、汚物が出ないように尻まわりに力を入れた。 それでも努力の甲斐なく下着を汚す日々。 常に糞便の臭いをまとえば、友人などできるはずもない。 本人だけでなく、両親や先生らにも悩みの種となっていた。 ある日、かな恵さんの家に猟師の宮坂さんがやってきた。
定期的に過眠気味になる。 今がそうだ。 予定がなければ大体12時間近くは寝ている。 もちろん起きいればやりたい作業は山積み。 アラームをかけても起きれない。頭に血が回らない。 何度かここで起きれそうーーという予感のある目覚め方をするけど、体が動かず布団の海に飲まれる結果に終わる。 こなさなければいけないことをしている自分を想像しながら、悔しさを覚えつつも意識を手放す。を繰り返す。 こういう時の夢見はいい。 現実逃避の産物は私を慰める。 今は友人らとわちゃわちゃする夢が多い。
漁師町で生まれ育った洋祐さん。 子供の頃から父親のような漁師になると心に決めていて、父親や漁師達と一緒にいる時は海の話を聞いていた。 そんなある日、聞いた事のない言葉を耳にした。 「えべっさんが近々揚がるってさ」 「そりゃいいな。稼ぎ時じゃねえか」 父親が嬉しそうに肩を回している。 「えべっさんってなに?」 「七福神の恵比寿様よ。来たら豊漁間違いなし」 「なにそれ! 僕も神様見たい!」 父親らが顔を見合わせる。 夜遅くに来るし、大人しか見てはいけない。 もう少し大人になった
インドカレー屋さんのナンが美味しかった。 後回しにしていた洋服の整理をした。 いつもより早い時間に洗濯をして、お風呂を準備した。 それだけで、今日は少し嬉しい日になった。 朝、起きた時は空前絶後の絶不調。それもこれも予定を詰めすぎたせい。 冬はあまり動けない体質だから、寒くなる前にと詰めた。 物書き仲間と会って、飲み友達と飲んだ。 その他は怪談付き合い、イベント出演、動画出演、女子会、宅飲み、遊園地……etc あぁ生きてるな、と煌めいた。 青春時代も楽しかったけど、毎年楽し
若かりし頃、避妊を失敗して産婦人科に駆け込んだことがある。 アフターピルの副作用に苦しみながら「もし受精していたら私は人殺しかもしれない」なんて考えた。 妊娠しないという可能性を、あまり考えていない時代だった。 今、あの時に戻っても、私は同じ選択をしたと思う。 なぜ唐突にこんな話をしたかというと、夫婦で話し合った結果『子供を作らない』ことに決めたからだ。 どちらかといえば、ふたりとも子供が欲しいタイプだった。 長い月日をかけて、この選択をするしかなかった。 何度も何度も話
気付けば雨の季節が終わりかけているのでは。 部屋に満ちる湿気と雨音で目を覚ますより、じわりと暑い空気と日差しで起床する。 例年通りなら7月中旬頃に梅雨が明け、真夏が始まるはず。 ゲリラ豪雨に肌濡らす夏が好きだ。 コンクリートが息をするように雨の匂いを発する瞬間が好きだ。 雨だけじゃない。 蒸れた夏草。生き物這う土。 身体の中に溜まる熱。肌をじりりと焼く太陽。突き抜けるような青空。 逃げ場のない季節が、生命を感じさせる。 ただ、汗は辛い。体臭や化粧が気になるから。 何も気に
私は沢山夢を見る。これは睡眠のほうの。 1回の睡眠で長い夢を見るけど、大体は前に見た夢の続きだったり再放送。 睡眠時間が長ければAの夢とBの夢を交互に見る。 そのうちAとBが一緒になったり、どちらも超長編になっていたり。 おそらく頭の作りがおかしいのだと思う。 夢を見る時は画面にシークバーが存在する。 もう一度見たいシーン。 準備をして挑みたいシーン。 むしろ何かを回避するために。 ちょこちょこやり直しがきくのだ。 だから毎日夢の中で無双している。 私は沢山夢を見る。 過
明るい感情に上限があるのを、感じたことはないだろうか。 暗い感情は底なしで、いつまでも負の世界に引きずり込むのに。 楽しい、面白い、幸せ……などは一定以上スパークしない。 しかも言語化してしまえば大変陳腐なものにならない? なんだか感受性の沸点が上がっていて、心が掻き乱されないのだ。 私はこれを孤独の後遺症なのではないかと思う。 ある種の俯瞰。 人が自分に対峙し続けると鬱々とし、もしくは割り切った明るさを持ち、外界からの刺激に揺れ動かなくなる。 己を見つめよとオトナや偉い人は
達明さんはスノーボードが趣味だ。 7年前の冬。 有給休暇を使って4連休を作り、スキー場近くのペンションを予約した。 お世辞にも綺麗と言えない宿だったが、その分安く済むのでウェアを新調できた。 派手物好きの達明さんらしい、明るい青が眩しいウェア。 彼は宿に着くなり、すぐに着替えてスキー場へ向かった。 初めての場所だったが、雪の状態がよかった。 ボード越しに雪の柔らかさが感じられる。 彼の実力的に楽しめるのは中級者コースだったが、思わず上級者コースにも足を伸ばした。 人気の場
前髪がスダレみたいになっている。 束感といい、ツヤ感といい…… いや。クセ毛だから南京玉、をつけたほうがいいかもしれない。 朝のスキンケア後に対策しなかったからこうなりました。 パウダーはたいたりカーラーで髪を留めておけば、こんなことにはならなかった。 平安時代なら艶やかな髪で一世を風靡してたであろう私の髪。 アブラマシマシ。コイブミアブラカタブラ。 でも今は令和なので前髪ペッタリなダセー女やってます。 今日、ハンカチをもらった。 フラッシュバックのように飲み会でハンカチを
私が死んだ日。 夢を見ていた。 夢の中で夢を見て、さらにその先でも夢を見た。 戻ろうと思っても戻り方がわからず、現実味のない世界で「ここは現実じゃない」と思いながらずっと生きている。 多分だけど、私は死んでいるのだろう。 私が死んだ日。 クチナシの花が萎み始めていた。 フチが茶色くなってみっともない花弁。 香りも何となく腐敗が始まっていた。 もう捨ててしまおうと花を摘んで、気付く。 指の骨の露出。爪が1枚ひらり。 あぁ、私が腐敗していたんだ。 私が死んだ日。 出社すると会
書くという原動力は何だっただろうか。 思い出せば、いつも感情だったように思う。 何かにすがらなくては息ができないと、苦しさで物語を紡いだ。 酸素を取り込んで吐き出すかのように。 書いてるうちは全てが点と線になる。 2次元の中に私の物語が浮かび上がる。 書き手の私さえ点と線だというのに。 話だけは煌めいて、飛び上がる。 時に鯨のように。もしくはイルカのように。 手から離れ、大海原に解き放たれるストーリー。 のはずだったのに。 気づけば溜まりに溜まって、泳げないまま死んでいった
香純さんはおばあちゃんっ子だった。 土日になればおばあちゃんの家に行きたいと言い、行けば帰りたくないと駄々をこねた。 おばあさまのほうも、香純さんが初孫ということもあり、目に入れてもいたくないと言うような溺愛ぶりであったそうだ。 なので、おばあさまが亡くなった時は自ら線香の番を申し出た。 この時、香純さんは12歳。 人の死というものに向き合ったのは初めてだった。 線香を絶やさぬように過ごしていると、祖母の布団が動いた。 固定された手のあたりまで布団がめくれている。 ドライ