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オツトリさん

達明さんはスノーボードが趣味だ。

7年前の冬。
有給休暇を使って4連休を作り、スキー場近くのペンションを予約した。
お世辞にも綺麗と言えない宿だったが、その分安く済むのでウェアを新調できた。
派手物好きの達明さんらしい、明るい青が眩しいウェア。
彼は宿に着くなり、すぐに着替えてスキー場へ向かった。

初めての場所だったが、雪の状態がよかった。
ボード越しに雪の柔らかさが感じられる。
彼の実力的に楽しめるのは中級者コースだったが、思わず上級者コースにも足を伸ばした。
人気の場所だ。おそらく上級者コースも賑わっているだろう。
そう思ったが、リフトを降りると人がいない。
間もなくナイト営業に切り替わるからだろうか。
それとも少し前から降り出した雪のせいだろうか。
白銀の世界とは言い難い曇天模様。
明るい色のウェアを着ている自分は、まるで異物のようだ。
彼は長い斜面を滑り出した。

スノーボードで後悔したのは、これが初めてだった。
人が少ないのをいいことに自由に滑った結果、コースから随分かけ離れてしまったのだ。
気づいた時には遅く、方向がわからなくなっていた。
雪が吹雪になり、視界が悪い。
彼は木が密集している、林のような場所でひと休みすることにした。
ケータイは圏外。
体温は徐々に下がっていく。
遭難の文字が頭に浮んだ。

ホォーーーー
ホォーーーー

絶望の淵に立たされた彼の耳に、梟のような鳴き声が聞こえた。
続いて地響き、いや雪を強く踏みつける音だろうか。
しかも、人が歩くリズムよりずっと早い。
ボードをつけたままの体を捻って、音のした方角、山頂側を見た。

ーーダチョウだ。

小さな頭を長い首で支え、大きな羽をバタつかせながら大股で下っていた。
蹴られた雪が背後で舞い、柱のようになっている。
それが、どんどん近付いてくるのがわかった。
そのぐらいに速いのだ。
思わず木の影に身を隠した。

自分から数メートル先。
ダチョウの足音が止まった。
顔を出せば、目が合う気がした。

ーー早く、早くどこかへ行ってくれ。

ホォーーーー

空気が揺らぐほど大きい鳴き声。
そして、また足音が聞こえ始めた。
音が遠のくのを確認して、顔を出すとその姿は更に数メートル先にあった。
そこで再度立ち止まり、鳴く。
大きく羽を羽ばたかせ、走り出す。
これを繰り返すうちに、鳴く時はこちらを向いているように見えた。

ーーついて来いって事か。

このまま凍え死ぬよりは、悪あがきをすることに決めた。
達明さんはダチョウの後を追った。
だが、距離が全く縮まらない。
そればかりか、ダチョウは途中で急に速くなり消えてしまった。
幸いにもなだらかな坂に入ったところだった。
彼はそのまま滑り続けた。
そして、到着したのはペンションの裏側。
いつの間にかスキー場さえも越えて宿に戻っていたのだ。
呆然としていると、雪かきスコップを持った支配人が近づいてきた。
「あれ、ここまで滑ってきたのかい」
「それが何が何だか。迷ってたらでかい鳥が……」
「オツトリさんか。じゃあアンタ何か。遭難しかけてたんか」

支配人に説明すると、自分はスキー場の順路とは真逆に進んでいたとわかった。
なだらかな斜面の多い山のため、豪雪の年は迷い込む人が出る。
だから注意喚起の看板やポールが刺さっていたはずだと言われたが、とんと思い出せない。
人がいなかったのも不思議な話だそうで、リフトが動くうちは毎日賑わっているとのことだった。
翌日も彼は上級者コースを訪れたが、前日の様子と全く違うものだったと話す。

オツトリさんというのはこの地域で『遭難した人を助けてくれる鳥』を指す。
この一件以来。
彼はダチョウを見かけるたびに、頭を下げずにはいられないらしい。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

山にはその土地に住まう者だけが知る、山の神、ヤマノケなどがいる。
この地方では、山の神は鳥の姿で現れるとしていて白い鷹や梟を見たという話も聞いた。
ヒトを超越した存在がどのような姿をして現れるか。
おそらく見た人間自身が考えている、神秘的な姿になるのではないだろうか。
しかし、達明さんの場合は予備知識もなく、いきなりダチョウを見た。
この時、ダチョウについて特別な思い入れはなかったそうだ。
この話をしてくれた時に彼はこう言った。
「雪の中、走りやすそうな姿で出てきたんじゃないかな」
私が思うに、達明さんは雪に対して歩きにくさを感じていたのではないだろうか。
普通に考えて、雪の中で歩きやすそうな動物と言われて、それを想像できるのだろうか。
脚力がある動物として、潜在的にダチョウを選んだ。
そして、山にいるナニカはダチョウの姿を借りて彼を助けた。
そう考えずにはいられない、興味深い話だった。

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