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呼鈴音

私の曽祖父は骨董屋を営んでいた。
亡くなった時は、骨董品含む店を売却し親族に遺産を分配した。
曽祖父は酷い認知症を患っていたもので、全て終わった時は安堵に似た溜息が出たのを覚えている。

名を、一郎といった。
寝たきりになった一郎を妻は甲斐甲斐しく世話した。
しかし、彼の妄言が酷くなるとノイローゼになってしまった。
衰弱する母親に妄言が聞こえないよう、離れて暮らしていた息子が動いた。
一階の居住区から二階の書斎へと彼の寝床を移したのだ。
これで四六時中汚い言葉を吐いていたのが聞こえなくなった。
正確には微かに聞こえるぐらいになった程度だったが。
それでも精神的に楽になったのか、妻は数日すると落ち着きを取り戻し始めた。

しかし、妻も高齢であったため、世話の間隔が開きすぎてしまう事がしばしば発生するようになる。
一郎が本当に用事がある時に気がつけないのではないか。
そう考えた息子が店にあった大きい鈴を階段の踊り場に取り付けた。
鈴に繋がる紐を一郎の手元までのばし、さながら現代のナースコールのようにしたそうだ。
がらんがらんと鳴る鈴は、神社の本坪鈴のようだった。
実際そうだったのかもしれない。
外し忘れた値札も鈴と共に揺れていたのだから。

数週間も過ぎた頃、一郎は更に症状を悪化させていた。
鈴を鳴らしながら「おぉい。おぉい。おぉい」と一
日中大声で呼ぶようになったのだ。

がらんがらんがらんがらん。
おぉいおぉいおぉい。

鈴が五月蝿く鳴る。
そこに、一郎の大声が重なる。

親族にも協力を仰いだが、みな参ってしまう。
辛抱ならなくなった息子は一郎を介護施設にいれ、余生をそこで過ごさせた。
率先して対策を続けた息子。
霞がかった一郎の頭でも、彼への憎しみが生まれていたのだろう。
一郎は最期のその時まで恨み言を吐きながら、手で何かをひっぱる仕草をしていたそうだ。

ここまでは曽祖父の話。
この二十年後に息子である、私の祖父も大病のせいで認知症に似た症状が出た。
やはり祖母も甲斐甲斐しく世話をしたし、曾祖母と違う点と言えばノイローゼになることなく自宅で看取ったことだろうか。
そのおかげか、祖父は穏やかな昼下がりにゆっくりと最期を迎えた。
そう、それが異なる点だ。

売却した筈の本坪鈴が祖父の介護ベッドにつけられていたこと。
人を呼び続けていること。

がら。がらん。
おぉい。おぉい。

当時幼く記憶が曖昧な私だが、曽祖父を思い出したほど同じ状況だった。
初めて見た時は腰を抜かすほど驚いた。
家族らに伝えるも、そのような記憶はないという。
あの沈痛な雰囲気。
家に響く鈴と声。
忘れられないほど痛ましい思い出だったのだが、不思議と誰一人覚えていなかったのだ。
私は介護で帰省している間、祖父と鈴を何とも言えない気持ちで眺めた。
時折、正気になった祖父は鈴を悲しそうに眺めていた。
思うところがあったのかもしれない。
外したり離れようとすることもあった。
それでも祖父はけして鈴を乱暴に扱わなかった。
このように何にでも優しい彼が、父親に随分と辛く当たられて育ったと聞いたのは葬儀の時だった。

あの鈴は何を考えて当家に存在し、曽祖父と祖父それぞれに何をしたのか。
未だ答えはわからないが、現在、その鈴は行方不明ということだけはわかっている。
 
――本坪鈴は美しい音を神にお供えする意味がある。
神と通じ合い、魔除けになるともいう。

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