知識労働者が本当に求めているのは「貢献」

知識労働者の動機づけに必要なものは成果である。彼らは自らの貢献を知らなければならない。肉体労働者のマネジメントとは大いに異なる。肉体労働者については、よい仕事に対しては良い賃金でよい。知識労働者については、凄い仕事に対しては凄い報酬でなければならない。(中略)
知識労働者は生計の資だけの仕事では満足できない。彼らの意欲と自負は、知識人としての専門家のものである。彼らは、知識をもって何事かを成し遂げることを欲する。したがって知識労働者には挑戦の機会を与えることが不可欠である。知識労働者に成果をあげさせるべくマネジメントすることは、社会や経済に取ってだけでなく彼ら本人のために不可欠である。

ドラッカー著、上田惇生訳、「断絶の時代」、ダイヤモンド社、pp.295-296

「すごい仕事に対しては凄い報酬」ってかなり大雑把なことを言っているように当初は思ったが、後段のつながりから「(もちろん仕事に見合った賃金があった上で)欲しいのは賃金だけではない」ということが言いたいのであろう。
賃金だけではなく、「これは自分が積み重ねて来た知識を使って成し遂げたんだ!」と言える成果が、事実が、そして実感が、味わいたいのだろう。これは身の回りの人を見ていてもわかる気がする笑
「承認欲求」とか「自己実現」など、よく聞く言葉に関連しているかも知れないが、むしろ「自己効力感」が重要で、それがあった上での承認欲求だとか自己実現なのだろう。

(追記)
ただ、これはもしかしたら「知識労働者」に限った話ではないかもしれない。アルバイトに来る人とかにもこういった人は多いように感じる。

え、でもそういった実感が味わえるのって最初だけだし、継続的な売上を上げる段階になったらむしろルーティンになってつまらないのでは?と思っていたら、当然ドラッカーはそこもお見通しだった。

あまりに多くの知識労働者が、たとえ仕事に満足していても、中年のはじめには飽きてくる。(中略)
中年に達した知識労働者が第二の人生を始められるようにする必要がある。

同、pp.298-299

バッサリと笑
ということで、ここから転職についての論が始まる。なんと、雇用の流動化はこういった文脈で重要性が強調されている(もちろん他の文脈でも強調されているが)
確かに一つの組織で味わえる興奮というのは、人生の長さの割にあまり多くないかもしれない(例外は多分経営者のみ)
では、ますます組織の役割とは何なのだろうか?


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