聖地巡礼へようこそ③! ~よりもい・館林編
地元の歴史を探り郷土資料館を見学しまくる僕が紹介する漫画やアニメ聖地巡礼のスポット。僕なんかがどれだけこれらの町の魅力を紹介できるかわかりませんが、その町の歴史もふまえて描いていきたいと思います!
「よりもい」と館林
今回の聖地巡礼は、僕が最高に好きなアニメの1つ、「宇宙よりも遠い場所」こと「よりもい」の主人公の出身地「館林」(群馬)です。
群馬といっても自分の中では埼玉の延長。
東武伊勢崎線で、東京の北千住から埼玉へ、草加・越谷・春日部、東武動物公園を越えると、久喜にいたり、そこから北埼玉の加須・羽生の先、利根川を越えるとすぐに川俣・茂林寺前・館林だ。
主人公のキマリ(玉木マリ)と報瀬(しらせ)と結月、そしてもう一人の日向の住んでるのが羽生なので、もはや群馬の館林市と北埼玉は羽生市はどっちもどっちだ。
旧日光街道(以前の記事「街道の町・埼玉」参照)こと国道4号は東武伊勢崎線で、浅草や千住の延長で、ちょっと一時間ほど電車にて、都会の喧騒からガラリと変化する田園地帯をゆっくり楽しめます。
または、湘南新宿ラインであっという間に大宮越えて(宇都宮方面です、高崎やら川越やらに行かないでね!)、あとはゆるゆる久喜から乗り換えるのも良し。
決して、群馬の館林は、いわゆる「秘境・グンマ」と揶揄されるような、奥地ではありません。
茂林寺前
館林のシンボルはたぬきです。
館林駅手前の茂林寺前を降りれば、分福茶釜のゆかりの寺の茂林寺の参道へ。
ここもよりもいの舞台であり、たぬきな感じも楽しめます。
館林城跡のつつじヶ丘公園へ
茂林寺からテクテク小一時間散歩しても良いでしょうし、電車で一駅楽しむのも。のどかな自然、北埼玉と群馬の町並み、歩くのも癒されますね。
さて、ここがよりもいと館林市の中心地。
館林城跡でもあり、沼地や湖の景色も良い、「つつじヶ丘公園」です。
歴史の町、館林
さて、そんな館林の繁栄の基礎は、中世の館林城と江戸からの街道である。
もともと数万年前からの遺跡も見つかり、自動車(スバル)の町の太田市やブラジル人の町大泉町(治安も問題らしいが)に岩倉町などとともに邑楽(おうら)郡として東山道の支路が通る、藤原京に平城京に平安京にも木簡やら延喜式やらに記録のある群馬南部の主要都市だ。
中世には佐貫(さぬき)氏(館林のシンボルたぬきとは関係ない)の荘園であり、佐貫氏は鎌倉幕府の御家人として活躍。のち後醍醐天皇と楠木正成と戦い足利尊氏に従う。
館林は茨城の西の古河にも近く、室町時代は古河公方の支配下、やがて上杉謙信に支配される。(わけわかんないね、やはり中世は混沌!)
さてここからが、館林市の今の繁栄につながる。
徳川家康の関東入府。そのとき北のおさえで徳川四天王の一人、榊原康政が館林城を与えられる。
康政没後、孫の忠次が、家康の遺体を日光東照宮へ改装するときに、のちの日光脇往還の基礎となる館林を通る。(駿府→箱根と小田原→中原こと平塚で北上→府中→川越の仙波→行田→館林→左野→鹿沼→日光が家康の遺体のルート)
やがて、家康が甲斐の武田家(信玄)滅亡後に召し抱えた家臣達を、甲斐(山梨)地方と関東の監視の要である八王子城下にいた「八王子同心」が、日光東照宮の火災などの管理の仕事をもつようになった。
その八王子と館林と日光を結ぶのが日光脇往還。のちの国道4号こと日光街道(日本橋→浅草→北千住→草加→越谷→春日部→幸手→古河→小山→宇都宮→今市→日光)のバイパス道路としても発達する。
日光脇往還は、八王子→拝島→箱根ヶ崎(東京都瑞穂町は入間と飯能の南で我が近所)→扇町屋(入間市で我が近所)→高萩(日高市で我が近所)→坂戸→松山(埼玉の東松山市)→吹上(鴻巣市)→忍(行田市)→川俣(群馬・茂林寺前の隣駅・利根川の群馬側の岸)→館林から栃木に入る。
ああ、絹の町の八王子から、旅人が我が入間を通り、館林に行き宿をとる様子がイメージできる。館林は僕たち西武~多摩地域の人々を迎え入れてくれる場所だったのだ。
のち五代将軍・徳川綱吉も将軍やりながら館林城主だった。館林は歴史も奥ゆかしいのだ。
(館林城は綱吉の子の徳松が5歳で死去し廃城へ。のち太田氏や秋元氏などが代官が支配する町へ。)
再度、よりもいへ
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