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「夜逃げ」の達人②2度目の「夜逃げ」は駆け落ち

こんなにも人生において「夜逃げ」に関わるとは思いもよらなかった男の自叙伝的な物語。

今回は人生2度目の「夜逃げ」となる駆け落ちの話と、初めての「占有」のお話です。

※この物語は上記の続きになりますので、よければ①からご覧ください。

■2度目の「夜逃げ」

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中学入学後「夜逃げ」の事実からの転落は早かった。

その後数年間はそれ相応の人生を歩み、母親の高校だけは行ってくれという希望を叶える為、名前を書ければ合格出来る私立の工業高校に入学したものの1か月で退学。

そこから暫くは先に中退していた兄の職場でお世話になりつつも、毎日家で外でそれこそ理由が顔が気に食わないというレベルでの兄からの一方的な流血沙汰の暴力を受けつつ育った私は「早く家を出たい」としか思っていなかったし、殆ど友達の家を渡り歩くような生活をしていた。

ちょうどその頃にお世話になっていたバイト先の運営する田舎の店舗が、住み込みバイトを募集していると聞き、場所もわからずに頼み込んでそこに移動してもらった15の春。

向かった先は隣の県で、聞いた以上に田舎で自宅兼店舗のような所の一室を自分の部屋として与えられた。

そこも元の経営者が「夜逃げ」した後を請け負っただけで、当然片付けられてもいない物置のような部屋の一つを別の物置部屋に荷物を移してスペース確保。

きっと他の人なら絶対ムリ、と言うような部屋だったがその当時の私にはようやく手に入れた自分の部屋でとても嬉しかった。

そこにはなんだかんだで1年ちょっと居たのだが、離れた理由はそこの客との「駆け落ち」

5つ歳上のNという二十歳の女性で、小柄で愛嬌のある人だ。

見た目が老けてたのか、働いていたのもありNの勘違いで未成年と思っていなかったらしくNに誘われるがまま付き合うようになった。

当時まだ地元に彼女は居たのだが、15.6歳にとって隣の県とはいえ遠距離で携帯も無い時代である。

Nと遊ぶうちに、そちらは自然消滅的な感じで過ごしていた。

その後職場で客と揉め事を起こしてしまい、その客というのがまた田舎の建築関係の太い顧客の従業員だったので大問題に。

面倒になった私は、なんの連絡もせずその日のうちにNの車でNと地元に帰る事にした。

これもまた自覚無き「夜逃げ」のようなものである。

夜中に地元で騒いだ際に警察のお世話になってしまい、身元確認で何かと都合の悪い流れになってしまう。

当時は大人に思えた二十歳の女性も、今思えばまだまだ勢いに負ける子供でしかなく、Nの親から捜索願いが出ていたのだ。

しかし未成年だった私を連れて出たNの方が法的にほぼ誘拐的な扱いになってしまうというおかしな展開で結末を迎える。

まぁそんなわけで双方被害届出すわけでもないが、結局この件でNとは疎遠になり私はまた実家に戻って無職になるのである。

■占有という生業

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不動産の差押えに対して居住権利を主張する「占有」をご存知だろうか?

今は法改正により難しくなったこの「占有」

ざっくりとわかり易くいえば債務者が「夜逃げ」した家に勝手に住み込んで権利主張して、最悪立ち退き料かその家の権利を安く獲得するのだ。

裁判所の執行官が競売に向け調査に来た内容を記すのだが、経歴を「汚し」まくって競売時に他の人間が煙たがって入札を見送るようにする役割でもある。

経歴を「汚す」というのは、例えば訪問された際にインターホン越しに適当に名前を言うのだが、「●●と名乗る者が対応したが、債務の主張を述べて対面できず」となる。

暫く空いた次の時は「●●と名乗る者が対応したが、前所有者からの短期賃借の権利を主張し対面できず」など複数の名前が記載されているだけでも、競売参加を検討する者がその報告書を読んで「この物件を落としても綺麗にするまでなんか面倒くさそうだな…」となるように仕向けるのが目的。

誰も入札者が居ない物件は最終的に「最低売却価格」と言う実際の市場価値を大きく下回る処分価格で出されるので、そこで親玉が入札して物件を得て綺麗にしてまた売却するのだ。

次の項ではそんな事情も知らずに初めてやった「占有」の様子をお伝えしていきます。

■初めての「占有」

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当時暫くは大人しくせねばならなかった私は、実家に帰らされまた親と同居して日々を過ごした。

当然無職だ。

程なくして知り合いツテに仕事を頼まれたのだが、話がよくわからない。

「とりあえずそこに住んでてくれたら良いけん」

指定された家に住んでるだけで良い仕事?

あまり深く考えずに、ただ家を出たい一心で了承してそこに住まう事にした。

連れられて着いた先は、見た目は古いがなかなか立派な一軒家。

正直こんなとこに1人で住めるの?と最初は喜んだが、中に入って驚愕した。

本気の「夜逃げ」直後の家というのは、それはもう凄まじい有様で、何かを探していたのか押し入れの中身は雪崩落ちたままで、冷蔵庫の中身も勿論あるしゴミも残っているような…嗚咽さえ出る他人の生活臭漂う世界なのである。

「とりあえず適当に片付けて好きなように使ってて」

と言われたものの、適当に片付けれるレベルの状況ではなかった。

これまでも幾多の他人の家で我が家のように暮してこれた私も、それはその家が「生きて」いたから良かったわけで、今自分が居る家はライフラインは通してあるものの、間違いなく「死んでいる」とバカなりに感じるのである。

しかしそうは言ってももう戻れない道なので、私はとりあえず自分のスペース確保に一部屋だけ綺麗にして、そこにあった荷物は隣の部屋に投げ入れて済ませた。

県外に行った際の過去の経験も捨てたものではない。

しかしその隣の部屋にチラッと見えたものが、仏壇と遺影だったので、すぐに締め切って見ないようにした。

けれどもやはりそんな光景と家の雰囲気もあり、初めての夜はなかなかシンドイ夜になった。

家主の居なくなった家とは、こんなにもどんよりと生気の無い空気になるのかと思ったことを覚えている。

多分「占有」一番手だったのと、家の中の様子から見て夜逃げからそう時間は経っていないのはわかった。

しかし間違いなくこの家には生気を感じないし、これまで転々とする中で小汚いアパートにも居ついて違和感を感じなかった私でさえ、こんなにも広く見た目はそれなりの家なのに居心地も悪く感じる。

霊感があったら、なんか見えていたかもしれないとさえ思えるが、正直無くて良かった。

ちなみに私は基本的に転々と生きていたので、私物は少ない。

旅慣れたバックパッカーのようなお洒落さは無いが、当時からそんな人生だ。

言えば枕と毛布だけは他人の匂いが嫌だったので持参したくらいで、他は替えの着るものすら持たない。

必要なら誰かに買ってもらえばいいか…という感覚で、とりあえずそこは2〜3日という話だったので、そんな環境でも自分のスペース以外見向きもしなければ、順応性の高さからか最早気にならなくなり翌日には熟睡できるようになった。

しかし風呂と流しは使えない…水回りというのはただの汚いアパートならまだしも、本当にこういう「死んだ」家では無理なのである。

こればかりは、途中で後輩を呼んで変わってもらい一時的に近くの知り合いの家に風呂に入りに行った。

手を洗ったり歯磨きは、買い出しに出れない分ペットボトルの水が大量に提供されていたのでそれを使っていた。

二階で物音がするとちょっとビビってはいたが、眠ってしまえばこっちのものとテレビをつけっぱなしにして寝た。

結局なんだかんだで4日か5日くらい居たと思うが、幸いこの時は他の債権者も裁判所からも誰も訪問は無く、無事に占有デビューを飾れた。

しかしそんな事がある事さえ教えてもらっていなかったので、本当に他の債権者が押し掛けてきたらどうしたんだというのが今の気持ち。

そこで実績を積んでしまった私は次の依頼までまた待機となるわけですが、実家に帰るのも面倒でこの後も暫く転々としていくわけです。

そんな中ひょんな事から事件を起こしてしまい、また人生が変わっていくのです。

〜③に続く〜



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