シン・ウルトラマン考察
ネタバレあります。
この映画の伝えたかったことは
君達はニュースで悲惨な状況を見ても他人事
でも、本当は自分の延長線上の現実の生きた人間がいるんだよってことだと思ったんですけど、どうでしょうか?
根拠1構図
まず科学特捜隊(官僚などのパワーエリート)をあおりで撮影し巨人として見せている。
科学特捜隊はウルトラマンを巨人として見ている。
視聴者→エリート→ウルトラマン
巨人は憧れの存在であり、問題を解決してくれる存在であり、抵抗できない絶対者でもある。
つまり私達が普段感じている社会的、国家的な問題を解決する責任は国連や政府にあるという無責任、その決定に関与できていないという無力感を表している。
その巨人に相対したとき人は滝 明久(非粒子物理学者)の様に無気力になる。
しかし大衆が社会を形作っている、巨人(エリート)も人である。実際作中で解決するのは滝 明久を中心とする世界中の人々だ。現実でいうならば私達一般人が問題にコミットすることが解決につながる。
根拠2匂い
これもTV で世の中見てる人に警鐘を鳴らしている。生身のかかわり合いがないとどうしても無味無臭な人を想定してしまう。しかし匂いを強調することで人間も生物であり生きていることを思い出させているのだ。
根拠3被害者
この映画では最後まで被害者が登場しない。最初に神永 新二がかばった少年すら出てこない。また一般大衆も後半になるまで出てこない。これはメディアで切り取られた不自然に整えられた世界観を表しているのではないでしょうか?
後半にいきなり労働者や子供が映し出されるのは、前半にいたはずなのに描かれていないが故に視聴者の意識に上がらなかった隠れた利害関係者を見せつけているのではないでしょうか?見せられたものだけで判断してたんじゃないですかと言われた気がした。
結論
繰り返しになるが、この映画は
あなたもTV で見る飢餓の子供も、政府の高官も地続きの世界に生きている人間である。また、彼らと語り合い当事者として関わるべきだ。
というメッセージを伝えたかったのではないでしょうか?
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