TETSUJIN28TH's Baby

実家の父が声を失う 喉頭がんステージ3。声帯を摘出し、声を失った父親と、それを支える母親のことを書き記しておこうと。あの時こんなこと思ってたな。と笑えるように。そうしてこれから巻き起こる想像できない家族の形。

TETSUJIN28TH's Baby

実家の父が声を失う 喉頭がんステージ3。声帯を摘出し、声を失った父親と、それを支える母親のことを書き記しておこうと。あの時こんなこと思ってたな。と笑えるように。そうしてこれから巻き起こる想像できない家族の形。

最近の記事

鉄人よ 再び。

2024年 辰年 年男の実家の父。 2年前は、喉頭がんステージ3と診断され、声帯摘出をし、声と引き換えに生き延びた。 あれから月日はながれ、元気に社会復帰というより、人生を 再び歩き出し、謳歌継続ちう。 ゴルフにも早くに復帰したし、スコアも相変わらず70台だし元気に過ごしている。 不死鳥だ。 美空ひばりだって「不死鳥」なんて言われたけど、この世にはもういない。 鉄人でもあり、不死鳥でもある。 ただ、やっぱり体は小さくなって、お尻の肉も減っている。 でも、ゴルフは70

    • 格好でいきてる

      経口から食事をとれるようになると、人は活力が沸くんだろう。 あれが欲しい、これがしたいと希望に満ちた言葉が出てくる。 食べる事=生きる事その通りだと思う。 喉元にあいた傷口も、担当医が思っている以上のスピードで回復しているようで、機械を使った発声練習のリハビリが始まった。 そうなると、病室からの移動があるわけで、格好で生きてるパパにしたら 穴を隠すエプロンが必要になる。 売店で売っているけど、おしゃれではない。 柄物のエプロンを探すことになるが、まず販売していて

      • 指示。

        術後11日目。 病院食が始まりだして、冷蔵庫に保存してあった、漬物を食べると言い出した。 ちょいまて!それっていつの漬物? 聞いたよね。 永久気管孔になると、嗅覚は失われるという。 食べ物が傷んでいるかどうかが、わからなくなる。 しかも、術後10日は飲んだり食べたりしてないんだから、しかも、入院時に持ち込んだ漬物だという。 すてろ!家族全員からLINEで指示した。 素直に従ったパパだが、漬物を買ってきてほしいとな。 ちょうど、洗濯物を届ける都合があったので、

        • 糖尿病とプリンとカルピス

          術後、10日目のバリウム検査で、肺と食道が分かれてしまったパパは 問題なく飲食が可能になり、病院食も口にできるようになり、いろんな懸念事項があるにも関わらず、すんなりと食事ができている。 こうなると、売店へ向かい、買い食いがはじまった。 大の甘党である。 入院前も、 もう食べられなくなるかもしれないという思いから、暴食気味だったようで、入院前の検査で糖尿の数値が先生が思っていた以上に悪く、回復に時間がかかる可能性があると判断された次第。 手術前1週間は、インシュリ

          食べる事への執着=生きる力

          予定通り、手術日から10日目で、接合した部分からバリウムが漏れなければ 食事が開始になるのを、心待ちにしていたパパ。 バリウムの検査を午前中に終え、まったく問題がないようで、 執刀した先生も、その回復ぶりに驚愕していたよう。 夕食から、いよいよ始まる。 担当の看護師さんいわく、 はじめは飲みこめなくて、戻してしまう方が多いんです。 が、しかしだ。 パパは問題なく飲み込めた。 翌昼、その力を試す展開へ。なんと、メニューはあったかい素麺。 永久気管孔を作った人

          食べる事への執着=生きる力

          娘の力

          週末、ミシンを引っ張り出して、久々に針仕事を。 パパの入院生活を快適にするべく、洗髪の時に使うタオルを ミシンかけすることに。 パパはマジックテープを使っていたけど、もっと良い方法はないかと、 試作品にとりかかる。 自分の首に巻いてみたりして、使用感とか、苦しさとか検証。 で、試作品を病院に届けたら、マジックテープよりゴムのやつが使いやすいという反応。 やっぱり、使用者本人の感想が一番参考になる。 次はおしゃれエプロンにとりかかる。

          針仕事

          世の中、祝日の秋分の日。 2021年9月23日(祝) 朝から、家族LINEがにぎやかで、せっかくの休日だけど 目が覚めた。 裁縫道具とマジックテープがほしいとLINEが賑わっている。 どうやら、洗髪の時に首に巻くタオルが心もとないんだろう。 自分でタオルにマジックテープを縫い付けて針仕事をしたいらしい。 祝日は、弟夫婦がパパの希望をかなえてくれた。 ありがとうところで、針仕事なんてできるの? どうやら、自力でなんとかしたっぽい。 チクチク縫って、肩がこった

          染髪でおぼれる

          術後5日目 看護婦さんに染髪をしてもらって、さっぱりしたと 家族LINEに連絡あり。 シャンプーハットと、ケープ(床屋さんでするようなやつ)を自分で用意するように言われたらしい。 喉元に空いた穴から水が入ったら、それは直接、肺に入ってしまう。 そうすると溺れてしまう。 それを防ぐのが目的。 アマゾンか楽天で売っているから用意してください といわれたようで、家族LINEに指令がくる。 ご希望のものを取り寄せ、翌々日には病院へ届ける。 ここでも、コロナの影響で

          染髪でおぼれる

          永久気管孔

          永久気管孔とは、声帯をとることにより、食道と肺が別々になってしまうこと。外部からの酸素を永久気管孔から得ることになる 術後5日目の写真 パパの喉元に穴があいている。 しかも、傷口の治りがめちゃくちゃ早い。 術後5日で傷口の回復力、半端ない。 たぶん仙豆食べてるくらいの回復力。 俺は鉄人28号だ! っていうのも、まんざらじゃない。鉄人 28号自体はロボットだけど、この傷口の回復力みたら 認めざるを得ないな。 そりゃ、腹もへるわな。

          それぞれが、それぞれで闘っている

          パパが入院した部屋には、91歳のおじいちゃんが同室で、すぐに仲良くなったらしい。 91歳で喉頭がん 俺は放射線治療だ って教えてくれたらしい。 91歳のじいちゃんにしたら、70前のパパは、息子みたいなもんだよな。 退屈な入院生活も、そのじいちゃんに、笑わせてもらって癒しになってると 毎日の家族LINEで知る。 パパが手術を終え、ナースステーション横の経過観察部屋にいると、心配して1時間ごとに 様子を見に来てくれるらしい。 ありがたい。患者同士、先の見えない闘

          それぞれが、それぞれで闘っている

          手術の翌朝

          コロナの影響で、手術日でも立ち会うことができなかった。 本人は不安なのか、いつもの事なのか。 体にメスを入れるということが、大なり小なり70を目の前にした老体には 負荷がかかるのは明らかであろう。 「痛みに耐えてよくがんばった!」 数代前の総理大臣が、ひざの故障を乗り越えて、モンゴル勢を抑え込んだ横綱に送った 賛美の言葉。 日本国民なら、皆あの姿に熱くなったのは、もう何年前だ? 最後の日本人大横綱だっかたも。 その言葉を老体の持ち主に送りたい気持ちでLINE

          手術日当日 2021年9月13日

          朝から、携帯の留守電に伝言あり。 出勤前にシャワーに入っていて気が付かず。 聞いてみると、パパからだ。 なんだ?とLINEをしたら、もう済んだと。 この留守電の声、録音そのまま残しておきたいなぁと思いながら、後回しに。 声を失うその日の朝まで、ゴルフのコンペの段どり。 どんだけ、肝が据わってるんだか、楽観的なんだか。 わが親にして、感銘をうける次第。 私の人格形成に大いに影響しているのはたしかな話。 その日の午後、パパの声はこの世からなくなってしまった。

          手術日当日 2021年9月13日

          手術の前の日 離れ離れの家族がビデオ通話でつながる

          それまで、ガラケーだったママンが、ラクラクフォンなるスマホに替え、これから必須であろう、声なきパパとのやり取りの為にLINEを覚えだした。 今まで、なんでもメンドクサイといって、好奇心旺盛なパパに任せてたけど、もう、そんな事を言ってられないと、弟が懇々と説明した模様。 その通りだし、声を失った家族がいる者にしたら、覚えたらこんな便利なものはなし。 文明の利器に感謝である。 時間をみんなで合わせて、通話開始しても、ママンだけ繋がっていない。 何だかんだで、ようやくつながっ

          手術の前の日 離れ離れの家族がビデオ通話でつながる

          入院の日が決定

          喉頭がんステージ3 治療方針も決まり 確実に声を失う日が近づいてくる。 いよいよ、地元からはなれ、北海道大学病院へ入院。 9月8日から闘いが始まる。 ここで、思いがけないことが起きる。 当初、声帯を摘出すると同時に、その代わりとなるシャント発声をできるように、同時で構築手術を予定していたが、手術の前の血液検査の結果が思いのほかよくないという話に。 そう、糖尿だ。 糖尿患者は、体にメスをいれると、回復が芳しくなく、癒着の確率があがり、この度の手術で、声帯と同時に、片

          入院の日が決定

          2021年8月27日 再びはじまるガンとの闘い

          胃がんを克服してはや、15年。 再び、がんとの闘いが始まることに。 喉頭がんステージ3 北海道大学病院へお世話になることに。 地元の総合病院での検査諸々の書類を持って、北大病院の先生達と、治療方針を決めに。 コロナの影響で、家族総出となならず、ここは長男の弟と母が付き添い、先生の治療方針説明をうける。 弟の話だと、担当医の先生は、声を失うことをできるだけ先延ばしにするような説明をしてくれたらしいけど、パパと弟の間では結論は決まっていて 悪者は体内から排除する

          2021年8月27日 再びはじまるガンとの闘い

          いよいよ、声が出なくなってきた

          経過観察の定期検査を1度飛ばしたらしいパパ。 その間、セカンドオピニオンにかかったり、リウマチの点滴しにいったり、その際の血液検査では、腫瘍マーカーの数値はチェックしていたので、多少の事は気にしていなかったらしい。 しかも、声よりも、手首が痛くて整形で手首の手術を2月にうけ、春にはゴルフができるように 体のメンテに余念がなかった。 手首は、昔骨折したところのつきかたが悪くて、骨が出てきて神経を触っているとかで、ゴルフに支障がでるからということでオフシーズンにメスを入れ

          いよいよ、声が出なくなってきた