「宅野」森山大道へのオマージュ①
あの写真家・森山大道が、我が島根県に縁があるーそんなことを知ったのはつい最近であった。
森山大道といえば、新宿を中心とした都市スナップで有名な日本を代表する写真家。
前衛的で都会的なイメージしかなかった森山大道だが、幼少期島根県に住んでいたという。それも島根県西部・石見地方。
森山大道の作風に、何かしら石見地方の記号が少しでも含まれているのかも知れない。
そんなことを思って、森山大道へ捧げるスナップ写真を撮ってきた。
森山大道が戦後すぐの幼少期と小学校3年生の時に暮らしたのが、父の出生地島根県邇摩郡の宅野村。
世界遺産石見銀山にほど近い、小さな半農半漁の村だった。
そこで森山少年は、勉強もせずに兄貴分と一緒に海や山で遊び回っていたようだ。
そんな宅野を目指して、現在は大田市仁摩町になった宅野を目指す。
相棒は森山大道へのオマージュということで、「RICOH GR」
すべてハイコントラスト白黒撮って出しだ。
※note用にリサイズしています。
宅野は国道9号線からだいぶ入った、日本海に面した小さな町だった。
天気は鋭い日が差す初夏、モノクロ撮影にはうってつけの日和。
しかし、小さな港には人影がない。
港から集落へ続く道は、森山少年がいた頃の名残を留めているかのような道であった。
漁師道具が置いてある。
日本海近海は乱獲により漁獲量が激減し、さらにそこに外国船も加わることでさらに魚が取れなくなった・・・と元漁師が言っていたのを思い出した。
「あの頃は良かった、飲み屋でも姉ちゃんにモテたなあ」と、元海の男は遠くを見ながら語った。
石見といえば石州瓦、赤茶けた屋根が並ぶ景色こそ石見地方。
森山大道も、この赤茶けた瓦を覚えているだろうか?
細い路地こそ、漁村らしい風景。
モータリゼーションが訪れる前の生活の道。
土壁
割れた瓦
剥がれた壁
宅野の町は、石見銀山や廻船業でかつては活気あふれる町だったようだ。
だが、明治維新後の鉄道開発や工業化により、他の日本海側の諸都市と同様、一気に衰退した。
なぜなら江戸時代までは、日本の流通路=海であったからだ。明治維新までは、太平洋側に比べ日本海側の人口比率は今よりずっと多かったのだ。
森山大道が生活していた終戦後の宅野、写真集用の撮影をした1987年の宅野、そして栄えていた江戸時代の宅野、その全ての断片が感じられるような写真になったであろうか?
まだまだ続きます。
動画も作りました。スライドショーですので、よろしければどうぞ。
森山大道と言えば・・・な新宿もGRで撮ってますので、よろしければどうぞ。
追記
cotenという面白いサービスをTwitterで教えていただきました。
写真集が簡単に作れます。
今回の宅野スナップを写真集にしてみましたので、よろしければご覧ください。
サポートいただきましたら、すべてフィルム購入と現像代に使わせていただきます。POTRA高いよね・・・