大井谷の棚田
中国山地は棚田の宝庫。
急峻な傾斜地が多く、実はたたら製鉄の副産物だったり、とにかく棚田はそう珍しくはない。
現代資本主義に侵された『生産性』から見ると、非効率的に映るかも知れないが、これが風土なんですね。
ということで、今回は島根県鹿足郡吉賀町柿木村にあります、「大井谷の棚田」に行って参りました。友人と。
Instagramなんかでは「島根のマチュピチュ」とか言われそうな景色ですが、僕はそんな野暮なことは言いません。
自慢じゃないですが、本物のマチュピチュ見たことありますからね!
インカのマチュピチュは畑ですが、JAPANは稲ですよ。
あっちは王様の避暑地、こっちは生活の場です。
ぱっと見ただけでも卒倒しそうな労働量を察することができます。
これほとんど人力でやったんですよね。昔の人って頑強だわ~
たたら製鉄の副産物としての棚田は、出雲地方に多いようです。たたらは山を崩すので、そこから出た岩を砕いて棚田にするようです。
大井谷の棚田は、純粋に稲作用地拡大のための棚田のようです。
日本の原風景の縮図のような写真が撮れました。
田んぼ、里山、杉の植林、神社、コンクリートの橋、これぞ日本ですね。
これだけの傾斜地に幾重にも重なる棚田、美しい光景ながらマインクラフトでも大変そうな大工事です。
現代の石油エネルギーが如何に圧倒的なパワーか、そして現代人が如何にナマッたかがわかる景色です。
ちょうど田植え直後のようです。
赤茶色の瓦は、島根県西部の石見地方特有の石州瓦です。
これだけの石を運び、そして積む。
もちろん、水の流れや日当たりを意識した設計になっています。
これを今の現代人がショベルカーやWindows無しでできるでしょうか?
人間はこのような圧倒的な時間と労働量が込められた人工物を見ると、美しいと感じますね。
ピラミッドやマチュピチュもそうです。労働価値説とまでは踏み込みませんが、そこには祖先への畏敬の念か、それとも単純に圧倒されているのか、それは見る人によって違う捉え方となるでしょう。
以上、大井谷の棚田でした。
僕のような田舎者が高層ビルを見ると口開けて「こりゃあたいしたもんだ~」ってなるんですが、棚田はまた違う感情が湧きます。
どちらも人工物で、言ってしまえば自然破壊です。ですが人間が生きるために行われた破壊であり、そこには命が続きます。
棚田が美しいのは、命のつながりと自然との折り合いがあるからだと思います。
水の流れを効率よく導くには、自然の摂理に沿った設計が必要です。現代ではパソコンでちゃちゃっと計算するでしょうが、この棚田を作った当時の人達はどのような思考だったのでしょうか?
水の流れを考えると、稲作の生産効率を最大化するためには高度な計算が必要です。ですが棚田には水源地や途中途中に、神社や祠があるんですね。
生産と破壊を科学的で無機質な数学で杓子定規するのが当たり前な現代ですが、この棚田を作った人たちの胸中にはどのような思想があったのでしょうか?
現代人が棚田を見て感じる違和感が、そこにあるのかもしれません。
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