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うつ病のぼくが始めた行商って仕事の話-序


はじめに

ぼくが罹った心の病は正確には「自律神経失調症」だと通っていた心療内科の先生から言われました。
「うつ病とは違うんですか?」
と診断されたときに先生に尋ねると、
「まぁ、そう言ってもいい状態だと思います。著しいストレス状態が続いた結果、心のエネルギーが極端に低下してしまっているのが君の状態で、それはうつ病ともいえる。その結果、自律神経に症状が出ているから自律神経失調症と言っているのだけれど、うつ病とまでいかないのは、君はまだ走るエネルギーはあるみたいだからね。」
ってことでした。

当時、ぼくは早朝走ったり、週末山に行くと自分の症状が軽くなることの自覚はあって、それだけは続けていました。外に出るエネルギーがか細くある......そんな状態だったのだと思いマス。


そんなに大差がないのであれば、「自律神経失調症」って書くと長いので、なのでここでは「うつ病」って言葉で表現したいと思いマス。

そして、この物語はうつ病にかかり、会社を休職し、そして退職したぼくが「ちゃんちき堂」という小さなシフォンケーキ屋を立ち上げ、チキチキ5と名付けたリアカーで行商の毎日を送り出し、そして今に至るまでの物語デス。


「心の病を持っている」
「うつ病なんだ」
ぼく自身はうつ病に罹ってから今まで、そういったぼくの情報をブログやSNSをはじめとしたあらゆるところで公開してきました。その度にいただくのが、同じうつ病を患っている方からの
「私もなんです......でも、隠しています。」
「自分もうつ病のようで、でも人に言えないのです」
っていう声でした。


こういうメッセージの先には、この国では心の病気も含め、病気になった人や障害への偏見や「自己責任論」やら差別などが普通にあったり、病気になったことは「恥ずかしいこと」っていう認識を無理やりもたされる人が多いってことがあるのかもしれません。

具体的には家族や会社の人たち、知人から
「あいつうつ病なんだって」
って、はれ物に触られるような対応にあったり、
「甘ったれるな」
「がんばれ」
なんていう無理解な言葉をぶつけられたり、自分たちと違う人としてカテゴライズされ、周囲から人がいなくなっていく......
そんな不安があるからなのかもしれません。

同時に誰かと会話することは、そのエネルギーがあるのであれば、自分という存在や病気の外在化という形での、この病気の治療の助けにはなるとは思っていて、
「ぼくうつ病になっちゃってさ~」
ってあっけらかんと告白することによって、とてもとても楽になるっていう実感もまた、ぼくにはあったのデス。

誰にしもあると思います。心の中にため込んでいた想いを「愚痴」でもなんでも誰かに吐き出すことによって楽になったり、日記のような形で文章にしてみて後で読み返して、自分を客観視することによって自分の状態を把握出来たりっていう体験のことを外在化って言っています。

ぼくらの中に原因はない

そして、これは声を大にしていいたいですが、うつ病の原因は自分の中にはないとぼくは思っています。もちろんなんかスピリチュアルな人が言うように「前世での××」なんていう、今の自分ではどうにもできないようなことにも原因はないと確信しています(実際にそういう系の人たちから病気になってからお誘いを受けたことがあります。それで楽になるならいいですけれど、ぼくには自分で解決できないなにかのせいにすることって、病気のためにも自分の人生のためにも役に立つことだとはどうしても思えません)。

特定の病気になりやすい資質...「癌になりやすい家系」とかと同様に「うつ病になりやすい」って遺伝的な要素もあるんでしょう(ぼくの場合は極めてうつ病になりにくいという性格診断が会社で何度か行ったメンタルヘルスチェックでは出ていましたけどネ)。

性格的に抱え込みやすいとか、神経質とかってこともあるんでしょう(ぼくはかなりおおらかでおおざっぱな人間のように思いマスが)。
そういった要因があったとしても、「うつ病」になってしまう原因は、ぼくはこの社会の側にあると思っています。

具体的には「会社」だったり「上司」だったりといった自分の外部にデス。さらに正確に書くと、おそらく、自分にとってストレスの原因となる「誰か」と「自分」の関係性に原因はあって、その関係性を打破できないことを強要する社会にこそ問題はあって、ぼく自身にはない。そういうことだと思うのです。

少なくても「自分が原因じゃないんだ」って思えることが大切だと思っています。

人によっては「ストレス」と感じる人間の種類はイロイロあるでしょうし、ぼくの器の大きさも関係してくるとは思います。だからってぼくの指向や器の大きさのせいじゃない。

 ぼくにとって受け入れがたい「人」が常時ぼくのそばにいること。
 常時いるからこそ、ぼくの器からあふれてしまったこと。
 それはぼくのせいではないのデス。


インフルエンザのウイルスに耐性がないぼくにインフルエンザのウイルスが侵入してきたからインフルエンザに罹患したと同じように、インフルエンザに罹ったのならインフルエンザのウイルスが原因で、うつ病になったならばストレスの原因がうつ病の原因なんです。そう、原因はあなたであってぼくではない。

その前提の次に、インフルエンザだったら人ごみにいかないとか、手洗いうがいするとか、免疫を高めておくっていう自分の対処方法と同じように、うつ病にも対処方法があります。
ストレスになるような人に近づかない、心穏やかに保てるような生活習慣を作る等。
そして、インフルエンザを拗らすのは罹患した時にちゃんと休まなかった(休めなかった)ことと同様にうつ病だって悪化するのは、原因から心身を遠ざけ、安静にできない環境にあったことにあるのです。
その上、この病気は「自分で環境を変えることができない程に心が疲弊している状態」が継続的に続くことによって発症しているのですからなおさらです。

これは今から書き進む話になりますが、とにかくここで言いたいのは「うつ病の原因は」「ぼく」でも「あなた自身」でもないってことです。

その上、たいてい、うつ病になったぼくらはケッコウひどい目にあっていると思うんだけれど、その原因さん達はのうのうと社会生活を円満に送っているのだから、そりゃ、そいつらのせいだろってぼくは正直に思います。

だから「うつ病」であることは恥ずかしくなんかないし、自己責任でもないのです。
自分のせいでなった訳でもない病気なんだから。


ぼくの場合は、心からそう思っているので、情報発信を続けることによって自分で病気や、この病気がもたらす「罪悪感」のようなマイナスのスパイラル思考を「抱え込まない」ため、そして自分の状態を言語化し、自分の外に置いてみることはとても大切な治療につながりました。

同時に誰かの予防になるのではないか、とぼくは心から思っていて、自分の病気のことをすっかり公開し続けてきました。

うつ病が他の病気と違うのは果てしなく心のエネルギーを0からマイナスに引っ張られ、その結果として病気のどの段階でも「ネガティブ」になることがあげられます。


心のエネルギーがマイナスだったり「0」だったりすると、うまく人との関係を維持できなくなりますし、それ自体が多大なストレスになります。おなかが空いていると力が出ないでしょう?心も同じです。

でも、うつ病の人たちはいつも他の人より圧倒的におなかが空いている状態で、他の人たちと同じように見られようと努力をし続けています。エネルギーがないのにエネルギーを絞り出す......一滴一滴、からっからの雑巾を絞り続ける......その行為の連続によって生じるこの苦しさはなった人にしかわからない、永遠に続く責め苦のような時間の連続デス。

だからどうしても一人になりたいし、自分の殻の中に沈み込んでいきます。
そのたった一人の孤独な思考の中でうつ病の症状である「ネガティブ」さんは徹底的に「自分がダメな人間なんだ」って結論に向かってループしていこうとします。
「みんなができることができないぼくは」
「みんなが朝起きれるのにぼくは」
「みんなが笑顔なのにぼくのせいで」
たくさんのネガティブさん達が入れ代わり立ち代わり、思考を支配し、それを追い払うエネルギーはすっからかんである状態。それがうつ病だとぼくは思っています。

そう、そういう病気なんだからしょうがない。
「君のせいじゃない」「君が悪いんじゃない」ってポジティブな発言をもらったって、それを素直に受け止められないからうつ病なんです。きれいごと言いやがって、この人だって心の中ではぼくのことを......そうやってネガティブにネガティブに「病気が勝手に」思考をもっていく病気なんです。

だからネ。その時に。「ぼくのせいじゃないのに、ぼくが悪いって思っちゃう病気だからぼくは今、自分が悪いって思ってるんだな」ってその何百時間の負の思考ループの間にちょっとだけでもぶっこむことができたら。


「ぼくの器が小さかったり、あの人を受け入れられなかったから」の間に、「ま、でも、対処はできなかったけど、ぼくのせいではないんだけどね」を100回に1回ぶっこめたりしたら。


それだけでも、この病気の加減は違ってくるんじゃないかって思うんです。
そういう意味でも、この病気はとても社会的な病気のようにぼくは思います。

うつ病に倒れたヒーロー

社会や人に対して感受性が強くて、責任感が強くて、自分がどうにかしなければって思うあなたやぼくだから、その原因さん達のせいにもせずに、だからこそ社会や環境を変えるために自分自身が努力し続けなければという真摯な姿勢の結果、逃げる体力があるうちに逃げることもせず、どんなに疲れて打ちひしがれても「自分の責務」を全うしようとし続け、くちゃくちゃのぐちゃぐちゃにやれて、倒れちゃった。
生きているけど自分ではもう立ち上がることはできない......


それがベッドに横たわり、無表情でただそこにいるしかないぼくやあなたの状態であり、このシチュエーションは映画に出てくる「ヒーロー」のようにかっこよい生きざまのエンドロール。その幕が下りた先にぼくらはいるのだと、そう思います。

そして、次の段階として、ぼくに相談の連絡をもらうすべての方々に対して、ぼく自身は医者ではありませんから、直接的になにもできることはありませんでした。


むしろ、ぼくらうつ病患者のもつネガティブなエネルギーに引きづりこまれそうになることが多く。ぼく自身も少ないエネルギーを持っていかれることが多かったのです。


「だから、ぼくに相談されたり、メッセージを送られてもどうすることもできません」
って返すしかなかったことがたくさんありました。

そんなぼくが、この物語を通してうつ病の「あるある」を共有したりして、「自分だけじゃないんだな」ってちょっとだけ安心したり、「うつ病」になってもこんなことを実現できる可能性があるんだって思っていただいたり、何より、今うつ病になってしまったり、なりそうな環境にいる誰かにとって、一番大切なことは「原因」を遠ざけることであり。

でも、それが難しい環境にいるからうつ病になっちゃうんだから、会社だったり、具体的な会社組織の原因さんに囲まれているあなたにとっては、そこから去れるかもしれないノウハウが落っこちていたら、それこそが最大の治療法になるんじゃないかとぼくは思い......


その仕事にしがみつかなくても、急にシフォンケーキ屋になったりもできる。そしてリアカー引きの行商の毎日を淡々と過ごしながら、ほそぼそでも生きていける。そんな術の紹介になったりしないかと思って、今、パソコンの前に座っています。

風邪の予防には手洗いとうがいで原因となる菌を体にいれないようにすることが大事であるように、うつ病の予防は「原因」からわが身を遠ざけることだと、とてもとても思うのデス。

でも、責任感が強くて、物事がうまくいかない原因を他人のせいにしないあなたは、そこからなかなか去ることができないし、心のエネルギーが削られ行く上に、「原因」から遠ざかることにこの社会はとても高いハードルを設定していて。とてもとても難しいその瞬間に、少しでもそのハードルを下げる力になれないかと思っています。

そして、「うつ病」は心の風邪といわれることもあるけれど、ぼくは違うと思いマス。


「うつ」の波は一度この病にかかってしまえば「原因」を遠ざけた今だって、季節性だったり、仕事の負荷や出来事だったりでぼくを襲ってくるし、それはもう一生付き合っていくぼくの属性になったのだと思いマス。


一度「うつ病」になったら治らない。


ぼく自身は今のところ、そう思っています。同時に100m10秒で走れる人もいれば、2日、3日徹夜で何かをできる人もいれば、ぼくみたいにすぐに疲れちゃうから長時間は仕事もなんもできないっていう属性の人もいる。

これこそが、社会が多様であることの一つの事例だと思うし、辛いこともあるけれど、だんだんとその「うつ」の波の大きさを緩やかなものにしながら、なんとか日常生活を送ることもできるし、起業もできる。

自立した生活を営みつつ、社会参加もできているぼくは「ケッコウいけてる」んじゃない?とこの属性も含めて思っていて、そんなことを思えるようになった今のぼくの物語が必要となる誰かがいるんじゃないかしらん?とも思ってもいるのデス。

さらに、ぼくが起業してから10年間続けてきた商いの形は、ぼくの定義の中の小商いの集合体であることも伝えたいことであって。週に数時間しか動けない時から続けてきたこの小商いという形であれば、うつ病をはじめとした今の社会にはそのインフラが整備されていないために社会参加しずらい属性の人にとって、そのハードルを下げる可能性にならないかと思っていて。

それでもまだまだ、たくさんの壁はあるけれど......稼いでしまったら手当てという名のセーフティネットを返納しなきゃいけない仕組みやらなんやら......
それでもそれでもまだ、「稼ぐ」という形での社会参加ということは、多くのぼくらにとってとてもよい治療薬になったり、生きていっていいんだっていう無言の承認になったりするのじゃないかと思っていて。自分の体験から。

さらに大きなことを書けば、そういった社会参加を許し、認めることによって数百万人の社会参加の可能性と経済効果をもたらすことさえ可能なのではないかと思いながら、そんな視点からも読んでもらえたら、考えてもらえたらうれしいと思いながら書き進めていきたいと思っています。

※次の話はこちら

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※アイキャッチ写真:大舘洋志さん

読んでくれてありがとデス。サポートしていただけたら、次のチキチキ5(リアカー)作れるカモ。