錯乱読書。『負債と信用の人類学』『大学入試センター試験から大学入学共通テストへ』『うそつきコンシェルジュ』
『枕草子』を再読しようかと、小学館の『日本古典文学全集18』を引っ張り出したのだが、箱から出すこともないまま、である。古典作品には、読み返したい作品がいろいろあるのに、なぜ『枕草子』を出してきたのか(上記の古典全集は、少し取り出しにくい本棚に入れてある)、ぐぢぐぢ考えている間に、読み時を逃してしまった。
そういう後ろめたさ(誰に対する、どういう後ろめたさかはわからないが)があるからか、読みかけの本に集中した一週間だった。
まずは『負債の信用の人類学』(佐久間寛編 以文社 2023)を読了する。おなじみの小川さやか先生や松村圭一郎先生が著者に入っているので、気楽に読み始めたのだが、読了してなお九割は読み落としているような感じ。人類学の基本的な学習が足りないというか、全然ないので(こういうのを「スキーマがない」みたいに言っていいのかな? 最近「スキーマ」という言葉を知ったので、使ってみたくなった)、当然だな。少なくともグレーバーの『負債論』を読んでから読むべき本だよなー。だって、そういうタイトルじゃん。いずれ『負債論』を読んでからの再読を誓う。でも「価値」についても、ちゃんと考えたくなった。
ぼくらは、ただ生きているだけなのに、何かと「価値」を欲しがる。その「価値」は権力であったり、金銭であったり、芸術であったりするのだけれど、どうにもその「価値」というやつが、ぼくらに悪さをしているような感じがするんだよなぁ。そこんところをちゃんと突き詰めた『価値論』的な一冊を読みたい。その上での『負債論』かな。
こんなんだから読書はキリがない。
続けて、倉元直樹先生の東北大学大学入試研究シリーズの第二巻『大学入試センター試験から大学入学共通テストへ』(倉元直樹編 金子書房 2020)を読了した。センター試験が不遇な終わりかたをしたその後に、鳴り物入りで登場した共通テストが、今のところセンター試験のマイナーチェンジに過ぎないものであることを、誰もが理解している。逆に言えば、センター試験は、とてもよくできた試験の形だということだ。そのことをちゃんと認めた方がいい。
高大接続改革で、最も重要な意味を持つことになったのは国語だ。急速に広がりつつある推薦入試も、共通テストも、もちろん個別検査も、読む力、書く力、話す力が大きく取りあげられている。ところが(ここが面白いところなのだが)、新しい教育課程の中(単位時数の奪い合い)で、英語と理系教科に押されて国語は防戦一方だ。何とか「国語」としての単位時数を維持はできたが、「文学国語」に犠牲を強いる結果となった(とはいっても、国語教師はそんなに素直ではないので、「論理国語」の隠れ蓑の下で文学もやっているのだ)。
それを理解できている高校は、国語の力を育てるカリキュラムをちゃんと組むのだが、多分そう多くはない。大学入試という結果を求めるなら、ちゃんと国語を分厚くすればいいのだが、不思議にそれを読み取れる人は少ないのだ。笑っちゃうよね。
続けて古田徹也先生の『謝るとは何をすることなのか』(柏書房 2023)を読む。古田先生の著書は、これまでに何冊も読んでいるのだが、いつもの生硬な感じだ。読みづらいなぁと思いながらも、ちょいちょい買って読んでしまうのは、この人の文体が変わる時を楽しみにしているからだ。この人が表現方法を変えたら、とんでもないことになりそうな気がする。その時を見たい。それだけでけっこう苦労して読んでいる(笑)。兆しはずっとあるんだけどなぁ。
と、その途中で津村記久子さんの新刊が出ていることに気がついたので、本屋さんへ直行、購入、あっという間に読了。今回は短編集。ぼくは、彼女は基本的に長編の作家さんだと思っているのだが、短編も好きだ。今回は「通り過ぎる場所に座って」に驚いた。なんだこれは。散文詩か? 驚いてみたい人は、ぜひご一読を。
あ、その本は、『うそコンシェルジュ』(津村記久子 新潮社 2024)。津村記久子さんは、今を生きる人の閉塞感を一つひとつ丁寧に描き出す。生きづらさ(いやな言葉だね)、身の置き所のなさ、違和感をちゃんと描いてくれる。普通に生きている人の、普通の思いをちゃんとくみ取ってくれる稀有の作家さんだと思っている。それは、例えば「ちょっと高いとわかってるけれど、今日はコンビニでいい。許す」という、日常のちょっとした健全なすさみかたに現れる。でも、こんな小さなすさみが積もり積もって爆発したりするんだよなぁ。
嫌だなと思う人に対しても、嫌な人には嫌な人になってしまうだけの事情があることを理解したり、だからといってその爆撃を自分が負う所以はないよなぁと、相手をできるだけ傷つけない回避方法を考えたりするのは、とても現代的だ。ぼくらはそんな政治や経済のもとで生きている。津村記久子さんの本を読んで思うのは、そんな政治や経済や社会のことだ。そんな政治や経済や社会や、世の中を構成しているぼくたち一人ひとりのことだ。
いずれ、この作品も再読、再々読するだろうが、その時どんなことを感じるかも楽しみな一冊だ。
さて、このあとは古田先生の本を最後まで読み終えて、グレーバーの『ブルシット・ジョブ』を読む予定。そこまで読んだら、たぶんシュペルヴィエル(堀口大学訳)の二冊を読む。何度も読んだ本だけど、また読みたくなったので本棚を探したのだが、なぜかどこにもなく、何度目かの購入をした古本である。意外に安くて助かった。
相変わらず一貫しない読書である。