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押しつぶされそうな日々の中で

7年前。死にぞこなったあの日から時々思うことがある。

いつから下を向いて歩くようになったのだろうか

いつからだろう、人と話すのが怖くなったのは

こんなにも自分に自信がなくなったのはいつからだろうと

小さい頃、この世はあんなにも輝いていたのに


何者にでもなれると思っていたのに、想い描いていた大きくなった自分はきっとキラキラとしていて関わる人みんなにニコニコと笑顔という名の花を咲かせている、充実しているに違いない!!そう思っていた。。いや、そうなると思いたかった。

だけどいざ【大人】そう呼ばれるようになった今の自分は理想とはかけ離れ。

無職

転職活動中なんて聞こえは良い事を書いたり言っているが結局は無職なのだ。
いいと思って応募書類を送るも書類選考ではじかれる毎日

面接にこぎつけたとしても「障害」という2文字で落とされる。鼻で笑われることもあった。(他の原因かもしれないけど。。)

もう誰も自分なんて求めてないのかもしれない、自分の「時間」さえも買い取ってもらえない。もう、消えてしまいたい。そんな風に思うこともある。

はぁー。。

豆腐メンタルが今やスクランブルエッグみたいにぐちゃぐちゃ。
不安で不安でしかたない。。どこを向いて歩けばいいのかもわからない。今日みたいに唐突に不安に駆られ目が覚めることが定期的にある。5時半に目が覚めて今7時7分、漠然としたやり場のない不安の中この文章を書き殴っている。乱文になっていると思いますがお許しください。


さて投稿できるのは何時になるだろう。。


いつから人が怖くなったか、自分に自信がなくなったかを考えてみることにする。


16歳。電車に乗れなくなった。各駅停車で二時間かかる高校に通っていた。昨日まで乗れていたモノにある日突然乗れなくて自分に何が起こっているのかわからなかった。毎日、自転車で駅までの道のり、駅が近づくにつれ冷や汗が止まらなかった。それでも駅のホームへ行き電車待ってそれに乗る。でも扉が閉まる瞬間、居ても立っても居られなくなって外に飛び出る。毎日それの繰り返し。少し前までは乗れていたのに…。

それから学校に行かなくなった。あれよあれよという間に出席日数が足りなくなって留年が確定した。母子家庭でおばあちゃんにお金を借りてまで高い学費を出してくれた母親は泣いていた。そらそうだろう。出来の悪い息子、おまけに勉強はそんなにできない。

「働いて返します。」その約束とともに高校を中退した。

知り合いのところでアルバイト生活が始まった。アルバイトとはいえ初めての仕事。覚えることもいっぱいで毎日毎日泣いた。出来ない自分に…。
毎日毎日店長さんが怖くてその仕事は4ヶ月で辞めた。

心底あきれられたと思う、おばあちゃんにも母親にも。
何の希望も自信もなくなって家に引きこもるようになった。だけどそんな僕を見かねておばあちゃんが自分の経営しているお店でお手伝いしたらどうだと言ってくれてお世話になる生活が始まった。
身内ということもあり働きやすかったけどそこに来る常連さんに酔っぱらいながら高校中退なんかだめだと怒られることもあった。それが嫌で話術を勉強した。その人が話していた内容をメモに取り、家に帰ってそのことを調べて次に来た時に「この前の話ってこんな感じのことですか?」と聞いたら「よく知ってるなぁ!」そう言って嬉しそうに話してくれて色んな人にもそれをしていると段々怒られることは無くなっていった。

その日々の中、電車に乗れなくなったあの日からずっと頭の中にもやがかかっている気がして心臓に重りを載せられているそんな感覚がずっとあった。

家族と外食に出ると冷や汗が止まらなくてご飯が食べられない。その場に居れなくなって自分が死んでしまうのではないか、そんな感覚に襲われて「ちょっと外の空気吸ってくる」そう言って外に出ると落ち着いた。でもまた店に戻ると冷や汗…。その繰り返し。

しんどかった。

人と話すと背中がざわつく気持ち悪い感覚、自分じゃどうしようもできなかった。もう嫌だとロープを買いに走り、人気のいない山に向かった。

でも結局何もできなかった。怖くなって泣くだけ泣いて何事もなかったように家に帰った。


消える勇気も自分にはなかった


その日々が続いていたある日。姉が仕事のストレスで倒れて心療内科に行った。

「自分も連れて行ってほしい」

気づいたらそう口にしていた。

カウンセリングを受けて幸い、姉は何ともなかったけど僕には薬が必要だと言われた。

「よくここまで頑張ってこられましたね。」

先生のその言葉に恥ずかしいくらいぼろぼろと泣いたのは今でも忘れない。

心の重りが砕けるように無くなっていった、大げさかも知れないけど生きてていいんだと言われた気がした。


そんな生活が経って19歳の時、お小遣い程度でくれていたお給料で車の免許を取った。自分にも出来ることがある!そんな小さな出来事に妙に自信がついて身内ではない外の会社でまた働いてみたいと思ってアルバイトを探した。

受かったのはホームセンター。最初はどきどきしてうまくできなかったけど一緒に働くおば様たちが優しくてすぐになれた。必要とされている、その感覚が嬉しかった!辞めた今でもメンタルが落ちた時に話を聞いてもらったりたまにご飯に行く中の人もいるくらい、いい人たちであふれているところだ。

ホームセンターで働きだして精神的にも安定していた僕はボカロにハマった。そっと寄り添ってくれるような歌詞に魅了され大好きになった。ボカロ好きな人と友達になりたい!そんな想いから苦手意識をしていたTwitterを始めた、知らない人と繋がるのに最初は抵抗があったけどそれもすぐに無くなって色んな人と話すの楽しい!!そう思えていった。その中でも一番楽しんで会話していたのが彼女さんでそれはそれはもう楽しかった!DMで2ヶ月くらい話してラインを教え合うというちょっと変わったスタートになった。

身体障害のことも精神が弱いことも打ち明けるのが怖かった、離れて行ってしまうだろうと、でも彼女さんは

「それがどうしたの?てとはてとでしょ?」

そう言ってくれた。本当に彼女は僕には勿体ない人で、だらしないところも弱い部分も無理しなくていいよって言ってくれる。感謝しかない。。
だけど多くのモノをもらっているのにこっちは何も返せていない、遠距離で寂しい思いも不安な思いもさせてるのに本当に申し訳ない。


そして月日は流れてホームセンター生活も2年目になろうとしていた頃、やっとおばあちゃんに学費を全額返すことが出来た。自分で蒔いた種だけど心の重い荷物が1つおろせた気がした。それと時同じくらいに僕の頭には「就職」「正社員」この2文字が浮かぶようになっていた。
でも学歴もスキルも人脈もない、どうしたものかと悩んでパソコンを触れるようにならないとまずいな…。そう思ってパソコンスクールに1から通った。学歴がないから目に見える資格を取りたいと【MOS】(word、Excel、PowerPointが扱えるという目に見える資格)という資格を取得した。実務経験ではあんまり意味がないとかネットに書いてたけど何もないよりはいいだろうと思った。でもそれだけじゃダメだ。。。何かスキルを付けないと!何かっ!何か!!!
そう焦ってwebデザインを学んだり、動画編集ソフト、プログラミングを独学でああでもないこうでもないと学んでみたりを色々やった。
(スキルが尽きたかと聞かれると苦笑いですね…。。。)

そうしてアルバイトを続けながら面接を受け、受かったのは小さな会社の事務。正社員だ!と喜んで、慣れないけど知らない知識がいっぱいで仕事的には少し楽しかった。(先輩のいびりがしんどかったけど。。)

だが、そんな生活は長くはなかった。
社長さんが障害者を雇用すると貰える助成金をヘルパーさんを付けるともっと貰えるらしいから付けたよと言い出した。何も聞かされてなかった僕はびっくりした。。
元々僕は誰かの補助がいらないくらいだったのでヘルパーさんとは無縁の生活を送ってきたのに…。
悲観的かもしれないけど自分が「お金」にしかみられないのかと苦しかった。こんな人の下で働きたくない!そう思って退職を告げると給料は払わないと言われて証拠もなかったから泣き寝入り。

そこから働くのが怖くなったけどそんなことは言ってられないので面接を受け続けた。全然決まらず、本当に焦った。何度も死のうと思った。また短期でホームセンターにお世話になったりしてやっと決まったのは10ヶ月後だった。
障害に理解があるところと思って【障碍者雇用枠】を選んだけどそこもダメだった。

見込みほど進歩がないのでやめてくれ

そう言われた。働きだして3か月の出来事。


そして今になり無職。落ちてばかりの面接。

ここなら本音が言えそうだから言わせてほしい。


もう働くの怖いです、本当に怖い。


もう自分なんていらないんじゃないか?誰も必要としてないんじゃないか?

そう思う。また長い間決まらなかったらどうしよう。見えない鎖が僕を縛りつけてくる。そんな感覚があったりする。めまいはするし、薬の量もまた毎日飲むようになった。頭では分かっているけど心がついてこないんだ。。
そんな時にまた消えたいといなくなりたいと思ってしまう夜がある。彼女さんを泣かせてしまう。ほんとにダメなやつ。

誰かと人生入れ替わりたいとも思ったりしてしまう。進む道がわからない。

怖い。

でも

それでも

前向くしかないんだよな。。

よし…!


やるか!


これがちっぽけな僕の人生、Uターンは出来ないし誰かに変わってもらうこともできないし、リセットもできない。けどそれでいいと思っている。その中で出会えた人もいるし、大切にしたいと思える人も出来た。このnoteもたくさんの人と繋がりが出来た。甘っちょろいかも知れませんが自分のペースで時にこうして弱音を吐きながら遠回りな人生、もっと遠回りに歩くかもしれない。でもそれでいいじゃないか!目を瞑って、耳をふさいで、ゆっくり歩いていこう。


自分の人生だもの



2021/02/13


teto




ps,こんにちは!こんばんは!かなめ改めてとです!
まず、こんな長文を読んでくださった方、本当にありがとうございます。
おめめを疲れさせてしまって申し訳ないです。。。
てととしての自己紹介記事を出す前に思い立って書き殴ってたらめっちゃくちゃ長くなってしまいました。。すみません(昨日の朝から書いてたけど途中色々やってたら一日かかってしまいました。。。)
不安でここなら全部かけるかもと思って書きました。
中には弱いなとかそんなことでとか男のくせにと思う方もいらっしゃるかと思いますがその気持ちはどうか思っておくだけにお願い致します。
拙くて乱文な文章ですがこれが僕の生きてきた証です。あなたの心の片隅にそっと寄り添えればなと思います。
最後になりますがここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!


それでは、また!



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