「初恋」 タイの可愛いお茶屋さん
タイ・チャンマイ。
妹を訪ねに来た。妹はイギリスの大学で法律の勉強をしているが全てがオンラインでできるので地球のどこにいても構わない。
そこでロンドンでアルバイトをして十分にお金を貯めた時にタイに飛んできて、数ヶ月間ここで生活をしている。ただし今いる北部では大気汚染で息できないほどとんでもない状態。妹も私も後少ししかタイにいないので頑張ってマスクで過ごしている。東京より300回ほど空気が汚いということ。
こんなチャンマイだけど、素敵なカフェが沢山あって、なんと日本料理も多い。その中で「初恋」という名前のお茶屋も見かけて入ってみた。ゆったりできるところで、清潔感が高いところ。
抹茶メニューで「ひまわり抹茶」と「たつき抹茶」が目立つ。それにする。暑いのでアイスで。私が飲んでいる「たつき抹茶」は少し苦味があって美味しい。抹茶の独特の味にいつも感動する私だけど、妹こそが美味しい抹茶の愛好者で、イギリスのお砂糖がたっぷり入っている抹茶とも呼ばれないものが嫌い。日本も訪れたことがある妹が本物の抹茶の味を知っていることはお姉さんとして誇りに思っている。
飲みながら「初恋」という言葉について考える。まずそれを見かけた時に言うまでもなく現在ネットフリックスで流行のシリーズのことを考えた。
また宇多田ヒカルの「初恋」の歌を流した。
初恋とは何か。自分が初めて誰かを好きになった時のお話なのか。初めて付き合った人のことなのか。疑問に思ってググってみた。ヤフーでも同じ質問をしている人も沢山。「初めて付き合った人とのことを初恋というのでしょうか?それとも、初めて異性を好きになったときを初恋というのでしょうか?」
「初めて異性を好きになった時だと思います。」という答えが出ていた。
しかし言い方的に正しくないと思う。「誰かを好きになった時」にしたほうが良いのではないかと。宇多田の歌で「初恋」って一切忘れられないものだと言っている。初恋もそうではないのも忘れることなんてないでしょう。良いのも悪いのも。
ただ考えても「これ初恋なのか」「単純に皆好きだった人なのか」どっちなんだろうね。当時はまだ未満だったので携帯を持っていなかった。16歳か18歳になるまでは両親に携帯を持つことが禁じられていた。でも周りの学生が皆持っていたし私だけが持っていなかったのである日おばあちゃんにお願いして携帯の契約にサインしてもらったのだ。そこで一番最初の携帯を持って、当時の値段で1万以上もしたものでサムスンギャラクシーのタッチスクリーンだった。スマートフォンではなかったのでメッセージくらい、1日に200のメッセージを送ることが可能だった。スポーツが上手な同級生の男の子にハマって毎日メッセージの数が終わりまでやりとりしていた。
ただその人のことを「初恋」だと思わない。
本気で「この人ちょっと好きかも」と思ったのは数年後にキューバを訪れた時のことだった。数ヶ月間一人旅している中でバラコアという南の方にある小さな町にたどり着いた。カラフルなうちがズラリと並んでいる町で、民泊した。午後の方少し暗くなる前に町の中心部に散歩していてどんな道でも賑やかな音楽があって皆踊っていた。キューバなんて何もない貧しい国だけど人々の賑やかな魂はいつまでたっても誰にも取られるものではない。
ある道で少し止まってダンスをジョインしたら、一人のカッコい男に「一緒に躍りませんか」と聞かれた。「教える」と言われて、一緒にサルサなどを楽しめた。アフロ風の素敵な髪の毛、ムキムキの体、優しい声、そして何もないのに楽しんで笑って楽しく過ごせるその姿に感銘を受けた。理学療法士だったそうだ。
インターネットの接続なんてないところだったし連絡交換する方法もなかった。それでも「明日はあそこのビーチにいる」と言われて、またビーチで会えた。
また別の日に誰もいないビーチでキスしたりして映画みたいだった。その後にも川に行ったり、海に行ったり、様々な自然に溢れるところで過ごしたりした「ちょっと好きかな」なんて初めて思えたかもしれない。
キューバを離さないといけなかった時に悲しい気持ちも嬉しい気持ちも両方あった。本当に恋に落ちると離れるなんてさらに難しくなるだろうと思っていたのだ。
それがあって数年が経ったらバラコアというその町が台風で完全的になくなった。今はまたなんとなく建てられたと思うけど、そこでなかよくしてもらった人、美しい自然しかない人、彼も元気かなとたまにふと想う。バラコアを出た時は荷物なんて何もなかった。サンダルとタンクトップくらいで首都までに行って飛行機に乗った記憶がある。その残りのものは、全てバラコアの誰かに上げてた。
というわけでこれは「初恋」のお話だった。
私の抹茶も飲みおわって、「初恋」を出た。皆さんの初恋のお話はなんでしょうか。
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