コピペ的、MAD的、陰謀論的

 唐澤貴洋の「人をinvolveする」という発言を「人を陰謀論にする」と聞き間違えたのは『日本会議の研究』の著者菅野完である。しかしだいたいにおいてこれは間違っていない。

「ある人物の思想は、彼が傾倒した人物の狂気の影響を受ける」という考え方は、加藤敏が「思想的系譜におけるエピーパトグラフィー」と呼んだものですが、そのような観点からドゥルーズの思想を考えるとき、まっさきに考慮しなければならないのは、アントナン・アルトーとルイス・キャロル(一八三二-九八年)の狂気からの影響でしょう。
 両者はともに、ドゥルーズが一九六九年の『意味の論理学』においてはじめて論じた人物です。一方のアルトーは、前章で論じたように、ラカンによって治癒のみこみのない精神病(統合失調症)と診断された人物であり、正真正銘の統合失調症の患者だったとひとまずはいえるでしょう。他方、『意味の論理学』のもうひとりの主役であるルイス・キャロルはどうでしょうか。かつては、彼を「統合失調病質(分裂病質)」―――すなわち、統合失調症を想わせる性質を多数もつけれども、外面的に明確な発病はなく、あくまでもサブクリニカルな段階にとどまる異常―――とみなす病跡学的研究がなされたこともありますが、今では彼を自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)とする説が有力です。
 だとすれば、ドゥルーズの『意味の論理学』には、統合失調症という狂気を代表するアルトーと、それとよく似ているが異なる狂気の持ち主であるキャロルという二つの線が並走していることになります。

ドゥルーズは、統合失調症者アルトーが生み出す「深い」文学を絶対的に評価しています。アルトーの「深さ」は、うわっつら(表面)の言葉ではなく、狂気とひきかえに獲得された生ける身体の絶望的な叫びを文学の言葉に昇華することを可能にした点にあります。彼の言葉は、重症の精神病体験のなかから、文字通り命がけで引き出されたものなのです。
 他方のキャロルは、例えば「散乱物(litter)」と「文学(lierature)」を合わせて「紊学(litterature=散乱文学)」という言葉(カバン語)をつくる技法に代表されるように、言葉をその表面で組み合わせたり組み替えたりする遊びをあふれるように用いていました。

(『創造と狂気の歴史―プラトンからドゥルーズまで―』,松本卓也,2019.3)

 すなわち、喚起における伝達である。感度としてはダジャレに近い。中国に「意象」と「意境」という区分があるのだが、「意象」というのは、すなわち具体的に対象として表象しうる事物であり、「意境」とはその意象を積み重ねていったところに立ち現れるところの「境地」である。例えば、「川」「人」「竿」「舟」「家」「煙」「畑」「山」などという諸意象によってそれとして立ち現れるところの「境地」が意境である。これは明らかに諸表象のマトリックスの複合体作用によってある有意味な類型的全体性を喚起している。詩歌や音楽性の強い現代音楽は詞と曲のコンプレックスイマージュにおいて意境を伝達可能にして喚起している。
 そこで陰謀論について考えてみる。陰謀論的世界観、この場合例えば「臨海」「船」「会議」「家(家庭)」「親」「明治」「満州」「巣鴨」「赤坂」などのコンプレックスイマージュで喚起されるところの或る対象は、たんに意境としての全体性ではなく、相互に接続された有意味に「脈あり」の複合体なのである。陰謀論は狂気と結びつけられるが、それはいかにもMAD的であるしだいを表明しているものといえる。陰謀論はこのようなイマージュの巻き込みによって各人の悦楽的なアナロジカルシンキングによって相互触媒的に他者を巻き込みながら展開するので、実際にinvolveなのである。「気」は狂っていなければMADたりえず、「気」が狂っていることがMADであるから、陰謀論は野性の思考におけるブリコラージュ的なMADである。すなわち、陰謀論的世界観という現実性(リアリティ)の形成は、「素材」を嵌め込むという意味で、ブリコラージュの寄せ木細工に酷似していることが指摘できる。これが折口の述べた「類化性能」であるが、これはすなわち「類推(アナロジー)」の発揮でもある。
 ところで、私が行っていることは、かつてのカウンターカルチャーであるドイツ観念論およびロマン主義が遂行したところの、制作行為を基本に置いた現実性の形成の議論の現代化でもある。ここでタイトルにある通りの、コピペ的、MAD的、陰謀論的な制作行為を基本に据えるのは、私自身がそのようなところで制作行為と鑑賞と現実性の形成を行い育ってきたからである。私にはどうもメディア的な気質があり、周囲を巻き込み(involve)つつ周囲が触媒となって、執筆や自己形成などを行う傾向がある。やり方としてはプロテウスというよりメタモンに近い。なおメタモンとは恐らく「メタモルフォーゼするポケモン」のことである。私はよく「経験をプロテウスする」という言葉を使うが、それはすなわちメタモンになるということでもあろう。そういえばエンターテイナーであった志村けんの代表作である「変なおじさん」も、たんに「おかしい」という意味ではなく、毎度「変態」していた。

変なおじさん
女性にいたずらを仕掛けることで「欲界」、自らを""という存在に認識させることで「色界」、ガラスが割れる音で物質的条件を超越することで「無色界」という、三界の教えを説いている。なお一見して奇怪な容姿は、解脱を果たせない者を体現しているためであるが、同時に風狂を表しているためでもある。

https://ansaikuropedia.org/wiki/%E5%BF%97%E6%9D%91%E3%81%91%E3%82%93
アンサイクロペディア:志村けん

こう言ったとき、木の一つに中に入るとびらがついているのに気がつきました。「あら変なの。でも今日って、なにもかも変よね。だからこれも入っちゃおう」そして入ってみました。

https://open-shelf.appspot.com/AlicesAdventuresInWonderland/chapter8.html
不思議の国のアリス, ルイス・キャロル
キチガイお茶会

 なにもかも変なのである。

2023年8月2日


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