俺には生き抜く覚悟がある

 俺はまだ死なねえぞ。

 さて、私はよく苦悩に苛まれるときがある。或いは煩悶と言った方がいいかもしれない。私には頼るべき相手があまりにもいないのだ。だから、取っている戦略としては、軽い依存先や逃避先としての関係性の拡大である。しかし、時に、例えば何も楽しくないが眠れない夜の孤独の時間など、どうしようもないときがある。そういうときはもう孤独感における煩悶である。しかし私は死なない。恐らく私以外の多くの者の安定というのは、自立した安定ではなく、少なくとも私が緩慢青年と呼ぶところの、すなわち大いに大いに特定の存在に甘えた青年の安定であろうとみている。だからといって私は生まれてくることを誤ったなどと言って死なずに、むしろ生き抜くという覚悟がある。これはひとつの定立された自己の自己自身への律法である。すなわち契約なのだ。私はそうやすやすと死なない。見ていてください。確かに、人間の精神などという身体の変様は移ろいやすく、いつ死ぬとも限らない。しかし、律法を遵守する覚悟として死なない。赦されても死なない。大いなる自己愛があり、最低限度が成立していれば、なにを死ぬことがあろうか。
 だから、どうか、皆さんにも死なないでほしい。私の自己は私だけなので、他者における自己はまたそれぞれだろうから、それ以上は言わないが、どうか死なないでほしいのである。これは願望であって、命法ではない。確かに生きていくということは、不眠は、愁訴は、誰にもいつでも来たりうる。そのような苦しい自己を抱えて渡っていく世間ではあるけれども、少なくとも私が生きていることと、私が生き抜こうとしていることを思い出してほしい。私があなたがたのために生き抜こうとしているように、あなたがたも各々の絶対的孤独を、しかし絶対的孤独の中にだけ立ち現れる愛を信じて、どうか、生きてほしい。

2023年7月10日


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