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歴史に学ぶ裕福さの落とし穴

農業生産性を農民1人あたり何人分の農作物を生産できるかで示す方法があります。農民1人で2人分生産できるのであれば2、10人分生産できるのであれば10と表示します。その逆数が農民の人口比率になります。たとえば、生産性が2であれば2分の1つまり人口の50%が農民、生産性が10であれば10分の1つまり人口の10%が農民だということです。この値を1から引くと、農民以外の人口(非農人口)の比率を求めることができます。

農耕社会は、灌漑しやすく平坦な河川沿いの谷間で始まります。農耕によって人口が増えると、徐々に灌漑しづらく平坦でない土地へと耕作地が拡大していきます。これは必然的に農業生産性を低下させてしてしまうため、農耕社会はやがて他の農耕社会と土地をめぐって争いを始めます。人類の歴史は、こうして展開してきました。

中世ヨーロッパでは、農業生産性は概ね1.1程度だったとされています。意外だと思われるかもしれませんが、産業革命以前の社会ではこの程度の生産性が一般的だったのです。1.1の逆数は90.9%ですから、中世ヨーロッパでは非農階級は1割程度に過ぎなかったということが分かります。非農階級は、貴族と呼ばれていました。歴史的に、多くの農耕社会がこの水準の農業生産性でしのぎを削っていました。

世界にひとつだけ、農業生産性が突出して高い地域がありました。エジプトです。

青ナイルから運ばれたミネラルと、白ナイルから運ばれた肥沃な有機物がナイル川の氾濫によって定期的に土壌に堆積するため、ほとんど人手をかけずに(おそらくは必要な時期に種まきをするだけで)膨大な収穫を得ることができたのです。エジプトの肥沃な大地を見た渋沢榮一は、「ナイルの水が毎年氾濫すると、深さ9m、広さ80kmほどの範囲に土砂を堆積する。これは農民が灌漑し肥料を散布するに等しい」と評しています。

ローマの繁栄は、エジプトを併合したことによってもたらされます。エジプトからの食糧を得たことでローマは食料問題を一気に解決し、帝国内に数多くの非農階級を抱えることが可能になったからです。増大した非農階級を背景に圧倒的な軍事力を得たローマは、その後パックス・ロマーナという全盛期を迎えたのでした。

では、農業生産性が突出して高かったにもかかわらず、なぜエジプトは滅びてしまったのでしょうか?

ぼくは、その理由を「裕福すぎたから」だと考えています。エジプトは、食料に困ることがなかったがゆえに、他の農耕社会の土地を求めなかったのです。もちろん、圧倒的に高い非農階級の人口比率を背景に、強大な軍事力を持ち合わせていたはずです。けれど、食料に困ることのないエジプトは、他の農耕社会への侵略意思を持つことはなかったのだろうと思います。領土的拡張によってローマがエジプトの軍事力を大きく上回ったとき、エジプトは滅亡したのでした。

エジプトを滅ぼしたローマもまた、ゲルマン人の大移動によって勢力の減退を余儀なくされました。ゲルマン人傭兵のオドアケルが西帝を廃したことをもって、西ヨーロッパ世界においてローマは滅亡します。中世のゲルマン世界が質実剛健で武骨な武人文化であったことを考えれば、裕福すぎたこと、文化的でありすぎたことがローマ滅亡の原因だったのかもしれません。

ところで、日本の農業生産性はどの程度だったのでしょうか?

幕末における農業生産性は1.4程度だったとされています。農民人口が約70%、非農人口が約30%となる数値です。産業革命以前の社会としては高い生産性だと言えます。だからこそ、武士階級(ヨーロッパにおける貴族階級)以外に多数の非農階級を抱えられることになり、商工業や町人文化の発展を見ることができたとも言えます。

反面、この数値は、同時期に産業革命をなし遂げていた列強の農業生産性には遠く及ばないものでした。幕末の日本は「裕福すぎる」わけではなかったのです。産業革命以前の社会としては高い農業生産性を誇る一方、列強には到底かなわないというこの絶妙の状況は、日本にとって幸運だったと言えるかもしれません。危機を克服するだけの潜在力と危機意識とを日本人にもたらしたからです。

現代では、国力を農業生産性で測ることも、軍事力を国家興亡の絶対条件と考えることも適当ではないかもしれません。けれども、そんな現代においても、「力がなさすぎても国は衰退するが、裕福すぎても国は衰退する」という原則は妥当するように思えます。

中国をはじめアジアに飛び出してみると、日本国内にとどまっているだけでは知ることのできない強烈な熱気を感じることができます。日本があまりに変化に乏しいがゆえに、日本人は日本の外で起きている急激な変化に鈍感に過ぎる嫌いがあります。そろそろ日本人も、自身が裕福であるという錯覚から目覚める必要があるのかもしれません。まだ足を運んだことのない方には、ぜひアジアに一歩踏み出してみてもらいたいと思います。錯覚から目覚めることさえできれば、日本にはまだまだ国際社会での競争に勝ち残っていける可能性があるように思えます。



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