ネタバレという文化について
今後、noteでも読書感想文であったりその他色んな作品の感想も綴って行こうと考えたとき、ぶつかると思われる問題について先に記しておこうと思う。
それが『ネタバレ』という問題である。
推理小説の犯人やゲームのシナリオなど真相を明らかにすると、未読(未視聴)者の楽しみを奪うことになると信じられている。 通常、人間は自分の記憶を自由に消すことはできないため、作品を期待している者は大きなショックを受けることになる。ネタバレ - Wikipedia
最初に言っておくと、自分はネタバレは一部を除き肯定派であり感想などもネタバレを気にせずすべきだという立場である。
ネタバレのデメリット
まずもって、何故ネタバレが批判されるかと言うと初見の感動を奪われるからというものが一番大きいと思う。
その作品に触れる最初の体験は何にも代えがたいものであるし、それを奪われたとき(ネタバレされた時)もうそれを取り返す方法はないのである。
大どんでん返しが最後に待っている作品のどんでん返し部分を言われると、そのどんでん返しもただお散歩している犬と出会ったくらいの落ち着いた気持ちで見てしまうかもしれない。
ネタバレ禁止のデメリット
では、ネタバレ禁止をした時に現れるデメリットは何か。当然その作品に対する意見表明が非常にしにくくなることである。
作品に対して意見を表明したい!となった時、どうしてもその物語のストーリーやテーマが話の中心になりやすい。そこを制限すると入り口の付近でしか話が展開できない、非常に窮屈である。
思ったことを何の制限もなく話せるほうが、熱量も伝わりやすいに決まっている。
場所の問題という解決策
で、どこまで言ってもこの議論は平行線のためネタバレをする場所に気をつけるのが落とし所ではないだろうかと思う。
Twitterやテレビなど、勝手に情報が流れてくる場所でのネタバレはダメ。Twitterやテレビごと遮断するという方法は、流石にネタバレNG側の負担が厳しすぎる。
逆にnoteやブログなど自分からアクションして情報を取りに行かなければならない場所は、自分からクリックしなければほぼ避けられるためネタバレOK。
これが完全無欠の方法とはもちろん言えないが、ある程度棲み分けできていると思う。どうだろうか。
とりあえず自分としては、このスタンスでこれからもやっていこうと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?