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秋の世界観

もう10月、つい1週間前まで真夏のような暑さが続いた。
ひんやりとした空気が体にしみる。

 実は秋だったんだね。
さみしい秋だと思う人もいれば、秋はさみしいと思わない人もいる。
夏のにぎやかさが急に静かになり涼しくなるのでさみしい。という言葉が出てくるのだろう。
秋はスポーツの秋、読書の秋とも言う。さみしいという言葉からは程遠い。

夏の楽しさから急に肌寒くなりさみしくなってしまった人もいるだろう。
はたまた季節の変わり目で夏の暑さから解放され、体を動かしたくなる人、何か新しい本を読んでみたくなったりする人もいるだろう

人それぞれ考え方や、環境で感じ方は全く変わってくる。
食欲という人もいる。お腹がすく、サンマが旬の季節。脂がのっていて実にうまい。

紅葉もする。秋を考えてみると、どんどん出てくる。文化祭の季節でもある。
やっぱりさみしい季節ではないな。

秋はさみしいというのは思い込みであり、世の中は色々な人が色々なことを考えている。
人々はその日その状況により考えることが変わってくる。
人々にとって大切な事、どうでもいいこと、それぞれが違う世界観がある。

自分の子供が運動会にいくとなったらそのことが一番大切になる。
いい夏だったなあと思って夏を振り返ると、夏のほうが大切な思い出になると、秋はさみしいものになる。

そんな時ニーチェの言葉を思い出す。
「人は誰もが自分の解釈で世界の姿を理解している。」
万人に”共有”できるものなどこの世にはないと言うことだ。

世界はたった一つで、秋はさみしいものだと言うことを思い込みで語ってはいけない。
秋はさみしいものだから、きっと他人もさみしいだろうと共有はできないと言うことだ。

人間は各自の視点から「遠近法」で世界を見て理解している。
つまり”知識、経験、生活といった自分なりの事情から世界を見て重要と感じるものは大きく扱い、そうでないと感じるものは小さく扱うと言うことを日々重ねている。

人々はお互い見る世界観が違うと言うことである。

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