「継続する絆」の源流は日本のお寺にあり

継続する絆、という概念を提唱したのは、アメリカ人のDennis Klass博士(宗教学)である。
Klass先生のインタビューがあり、いかにして、グリーフの世界で画期的なアイデアだった「継続する絆」を生み出したのかということが、具に書かれている。

そこで衝撃的だったのが、元々この死の分野にKlass先生が入ってきたのは、ご自身が当事者だったからとかではなく、博士課程一年生の時に、2歳の子どもとパートナーのお腹の中に赤ちゃんがいるにも関わらず生活費がなくて、そこに所属してるシカゴ大学の病院がリサーチフェローを募集していたところがはじまりだった。『死の瞬間』で有名なキューブラー・ロス氏のセミナーのお手伝いをされたそうな。そこからKlass先生ご自身も、死に関するセミナーをされるようになり、ご専門として活躍されていく。

地元の子を亡くした親たちの自助グループから依頼され、長年にわたって、ただひたすら、当事者たちの言葉に耳を傾けた。

時には一つの部屋に1,000人もの子を亡くした親たちがいる部屋で、ただ一人自分だけが、子を亡くしていない存在だったとか。どんなときも、はじめの挨拶には「わたしは子を亡くしていません。あなた方の友人の一人としてここにいます」と伝えたそうな。

継続する絆にたどり着いた一つの流れは、そうした当事者らの語る言葉や、子と向き合う姿勢の中に、子とのコミュニケーションを報告したり、子を想ってキャンドルに火を灯したり、やりとりが続いているということを目の当たりにしたということ。

そしてもう一つの流れが興味深いことに、息子さんが高校時代、日本のお寺でホームステイし、その後、日本の米系企業に就職したため、そのお寺を尋ね宿泊されたときの経験によるところが大きい。お盆で亡くなった人を迎えるために、灯籠に火を灯したり、祈ったり、送りながら「また来年もね」という、死者と生者がやりとりをしている姿に、アメリカの自助グループでの当事者の姿が重なったという。

20世紀の主流だった、段階理論、亡き人との絆を断ったり、亡き人のいない世界に適応したりすることをゴールとしてきた、グリーフの理論が限界としてきたことを、この「継続する絆」を提唱することで、見事に打ち破った。それは別になんら新しい「営み」ではなく、「名前がついていないもの」に名をつけたのだ。でも、やはり、画期的である。

Klass氏は御年80歳を越えておられるが、一度お会いしたいなぁ…。

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