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陰陽道のポジショニングと天武天皇
古代において、シャーマン的な技術だけでなく、呪術的権威のために技術を補強する理論が求められていました。
そして、陰陽五行思想というものが百済を経由してやってきます。
五経博士や暦博士、易博士がこれらの思想を活用していくことになりました。
また、渡来した僧たちが土地の吉凶を占ったり、遁甲などの戦術に用いる占術を日本に伝えました。
このように様々な教えを受け入れたことで、さらに陰陽道は発展していきます。
天武天皇の時代になってくると、陰陽を扱う術師の境遇が変化してきます。
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天武天皇が陰陽寮を設置したということです。
つまり、官僚機構に組み込まれたことで、陰陽道に関連する思想や技術というものは国家によって管理されることになったのです。
人材としても国家専属の占い師という地位を確立していくようになりました。
とはいえ、律令制の真っ只中ですから、陰陽師の仕事というのは官僚的だったというわけです。
ふわふわとしたシャーマンのイメージから、徐々に多くのことが伝わり、国家の意図もあって形になってきた陰陽道。
見えない力というのもふわふわしていても好奇の目にさらされてしまうのが現状です。
地位を確立していくためには、そんなイメージから脱却し、その背後にあるロジックや思想も含めてやっていく必要があります。
ぜひ一緒に頑張りましょう。
これからも良い記事を書いていきます。