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科学とスピリチュアルの分離の功罪

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東洋の思想において、宗教はあくまでも神様への窓口であると説明しました。

それは、奥にいる神様の意志を知るために発展したのが占いです。殷王朝の時代のことです。

その時代は農耕が主流だったため、占いに限らず、季節の変化や気温、雨量などを知る必要があり、科学的な自然観察も行われてきました。

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日本でも科学とスピリチュアルは同じでした。

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律令制の際に陰陽寮が作られました。

そこでは、陰陽師や陰陽生をはじめとした占術部門がいました。また、暦博士や天文生などの自然科学の専門家たちがいました。

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天文観測所と占い鑑定所と祈祷所が同じ部門として扱われていたのです。

両者は補完し合う分野でした。天文観測の自然観測部門が生み出した技術が占術に生かされ、占術の思考法が科学に活かされたのです。


しかし、中国の唐の時代から、科学と占術が分離されてしまいました。

自然観察の部門は、科学の道を歩んでいきました。占術は原理となっている自然観察の理論に詳しい者を失い、原理が分からないまま技法だけが伝えられることになりました。
占いの方法は分かってもどうしてその結果になるのか誰にも分からなくなってしまったのです。原理が分からないのでいつの間にか迷信とされ、その信頼を落としていったのです。


この縦割りによる弊害というものに心を痛めたのも自分で教室を始めた理由の一つです。本来スピリチュアルは怪しいものではなく、ロジックも存在するのですから、改めて原点回帰を目指そうと思いました。過去の叡智に興味のある方は一緒に学びましょう。


これからも良い記事を書いていきます。