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金剛界曼荼羅は月輪をイメージしたものをシンボルとしていました。 中央の白い円に大日如来が…
金剛界曼荼羅は本堂の西に掲げてあるものです。 その名の通り、ダイヤモンドのように永遠に壊…
胎蔵界曼荼羅の中心は蓮華を意味する中台八葉院でした。 これを囲む四角の上下、上が東なので…
曼荼羅の中でも有名なのが、胎蔵界曼荼羅です。 これは、大日如来の真実である理についてを表…
曼荼羅に関しては大きく4種類ほどありました。 皆さまにとって馴染みが深い曼荼羅としては胎…
心理学者のユングが着目したこともあり、仏教徒以外の人も曼荼羅に着目するようになりました。…
真言密教の寺院で今でも日々読まれてる重要な経典が理趣経です。 かつて、空海が持ってきたものです。 この意味は、全てのものの大いなる楽は、金剛のごとく、不変でむなしからずして真実なりという思いを示す経です。 全ての宗教にとって、煩悩というのは一つの大きなテーマです。 密教においては、人間的な欲望は宇宙の生命につながるものとして否定はしていません。 煩悩を含んだこの現実世界の全てを肯定して、その中から理想なものを見出し、現実世界の中に絶対の世界を実現するのです。 理趣経は密教
真言密教において大日経と並んで重要視されているのが金剛頂経です。 正式名は金剛頂一切如来…
密教にて第一にあげられる経典は大日経です。 特に体系だってなかった頃の呪術的な儀式や瞑想…
ひな祭りのルーツとして、紙の形代人形で身体を撫でて、悪いものを人形に移すことができました…
空海が留学した際の費用は高野山の水銀鉱脈の開発によってまかなわれていました 実は密教の霊…
最澄が亡くなった後、弟子たちによって天台密教が完成しました。 その弟子の一人に円仁という…
曹洞宗の僧侶であった良寛は、地震で子供を失った山田杜皐に送った手紙を送ったことがありまし…
空海が唐に渡って密教を日本に持ち帰りますが、それらはずっと継承されてきた叡智でした。 その後も留学する者が続き、どんどんに日本に叡智が入ってきます。 そして、真言密教の中でも、益信を祖する広沢流と、聖宝を祖とする小野流の2つに分れました。 広沢流は貴族出身の僧侶が多く、形式を重んじていました。 小野流は庶民出身の僧侶が多く、修行によって力を高めることを重視しました。 ちなみに立川流の文観は小野流の出です。 聖宝は吉野で修行をし、醍醐寺を建立しました。 これは修験道の当山