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生き急いでいる。

僕の話である。

ブログのメンバーと仕事やら将来像やらの話をしていてふと気付いた。どうにも僕は生き急いでいる。

最近、自分が空っぽな人間なんじゃないかと思うことがよくある。だからそれを埋めるために、本気になれる何かを、魂を賭けるに相応しい何かをいつも探している。まだそのヒントも見つかってはいないが。

僕は積み重ねるのが苦手だ。結論を、結果を急ぎたがるところがある。悪癖だとは思う。しかし怖いのだ。正直言って、少し先のことすら想像するのが難しい。見えない闇の中でじっくりと何かを手探っていると、今が失われ続けているようで、とても怖い。

僕にとっては1年後というのも100年後というのもそれほど違いはないように感じる。あくまで感覚の話だ。現象としての両者の差異は充分に理解している。しかし僕の精神世界はそこから先の世界を等しく想像してはくれない。

だからこそ、僕は今夢中になれる何かを探している。今の充実が最優先事項なのだ。何故なら未来のことは勘定に入っていないから。というより、入れられないから。今を生きられないのに、どうして未来を生きられようか、と思っている。大したエゴである。

どうやら僕は未来の自分を信頼していないらしい。

10代が何もなく過ぎてしまった焦りは、まだ確実に僕の中で燻っている。気付けば今はもう23歳、20代も半ばに差し掛かろうとしている。そして30代の自分のイメージは、全く、ない。

僕の人生は点の連続だったように思える。点と点を結んで線にすることが苦手だ。線を紡いで未来への橋を架けることができないのだ。

これは自嘲だ。なんて事はない、ただの焦りの話だ。

戦果を急ぐ若い武士のようなものだろうか。しかし哀しいかな、彼の刀はその焦りと行き場を無くした自尊心で錆びついている。

こんな刀で斬れるものはないと、自覚しなければならない。まずは自分の性根を叩き斬ることから始めないといけない。

砥石が必要だ。自分の性根を斬り伏せ、そしていつか戦果を齎す刀を研ぐ為の砥石が。


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