もしかして、負けてしまうかもしれない君に
健忘録として記しておこうと思います。
中学3年生の娘は
陸上競技(長距離)を続けてきて、
良き指導者に恵まれたこともあり
少しずつ記録を伸ばし、
1500mで2年連続 市総体優勝、
3000mで県大会5位入賞など、いくつかの成績を残してきました。
その集大成として臨んだのが
愛知駅伝 名古屋市代表の座でした。
結論から言うと、
代表2名には選ばれましたが、
正ランナーを決める最後のタイムトライアルで負け、
当日は2番手(補欠)となりました。
名古屋市チームから声がかかった5名が
タイムトライアルをしたのは10月末。
その時は1位で、代表2名に選ばれました。
最後のトライアルレースで2名から、1名に絞られます。
きっと勝てるだろうと臨んだ娘は、
平坦は強かったですが、坂道で相手が上回りました。
ライバルは強くなっていました。素晴らしい大健闘でした。
結果が出て、
その場で大泣きする娘のところに
今までずっと支えてくれた顧問の先生が寄り添ってくれました。
「これが勝負だから」
わかっているけれど、
もしも仲間の応援があったなら。
(相手はクラブチームの仲間がたくさん参加していた)
もしも12月にレースがあったら。
(12/24にレースの予定が大雪で延期になっていた)
もしも私の方が追う立場だったなら。
(今季の成績は娘の方が良かった)
もしも体調が良かったなら。
(朝、腹痛でカイロを2つも貼って温めていた)
いくつもいくつも出てくる
「なんで、なんで、なんで」という思いに
顧問の先生は
「何が悪かったんだろうと考えたら、いくつでも出てきてキリがない」
と言ったそうです。
娘のがんばりを一番知っているのは
先生だと思うので、
そうした一言一言を丁寧に伝えて、
「前を向け」と諭そうとしてくれたことでしょう。
悔しい思いを書き出せば
先生の言葉通り、いくつもいくつも出てきてしまうのですが、
わざわざココに記しておこうと思ったのは、
これを読む誰かにも、
もしかしたら、負ける時があるかもしれない、と思ったからです。
弛まぬ努力をしていても、
誰よりも強い想いを抱いていても、
運も、能力も、
自分の方が優っている思っていても、
そんな自分が
なぜこんな目に遭わないとならないんだ!と
世界に絶望し、
現実は夢のように感覚をなくし、
視野が狭まった脳では
「なぜなんだ」「これだけやった」「でもなんで」と、
マイナスとプラスの思考が行き来する。
そんな日が、
あなたにも来るかもしれない。
いや、一度は必ず訪れるだろう、と思ったからです。
娘が負けて、
ずっと考えてきました。
「悔しさをバネにする」とはどういうことなんだろう、と。
だって、
そんなこと言われたって、
このレースに賭けてきたんだから。
終わったレースをもう一度やり直すことはできないじゃん。
次の試合じゃ意味ないんだよ。
悔しさが
やがてチカラになることはわかっている。
失敗したり、敗北したりしたら
みんなそう言うから。
それを「わかりました」と言って
未来に目を向けて、新たな誓いを立てることに
どれだけの意味があるんだろう。
そういう言葉で
負けたと言うネガティブを
見せかけのポジティブに変換しようとしているだけなんじゃないの?
それでは、
バネにならないじゃん。
悔しさをバネにするって、
どういうことなの・・・?と。
小学2年生から続けてきた陸上競技で、
彼女はどちらかと言えば
勝ちよりも、負けが多い方だったから、
たくさんの負けを経験して、ここまで成長したと言い切れる。
経験がバネになることは
十分に知っている。
でも、違う。
やがて、ではなく。
今でないと、ダメなんだ!
一体なんなのよ!
娘の悔しさもさることながら、
母の私の悔しさも尋常ではなく、
感情の果てを彷徨う中で
ふと思い出したシーンがありました。
娘は、レースが終わっても
なかなか帰宅する気になれず
会場となった記念公園の池の淵にあるベンチを見つけ、
「ねぇ、ここで少しおしゃべりして帰らない?」と腰かけたのです。
レースが終わった後の景色は
見慣れない公園だったこともあり、
まだ現実味を感じられませんでした。
腰かけていた娘は
「あーん、もう!」と自分への憤りを隠せずに
ベンチではなく、地べたにゴロンと寝転んで空を仰きました。
このところ寒さが続いていましたが
その日はレース後から日差しが柔らかくなり、
全身で地球のエネルギーを受け取り、感情を流すのもいいかなと、
寝転ぶ娘をちょっと笑って見ていたら、
勝った選手たち一行が
駐車場に向けて歩いてきました。
気づいた娘は「いかん!」と、飛び起きて、
ベンチに座り直して、背筋を伸ばして言いました。
「落ち込んでるなんて思われたらいかん」
そうだね。
私たちは、〝レースが終わったのでここでおにぎり食べてるんだよ〜〟という雰囲気を醸し出しながら、笑顔でおしゃべりを続けました。
すると、
「あ!」と私たちに気づいた、勝った選手のお父さんが近づいてきて
「ずっと追いかけてきました」
「藍ちゃんがいたから、娘はがんばれました」
「これからもがんばってください」
と、頭を下げてくださいました。
隣にいた、選手も
お父さんと一緒に頭を下げました。いい子です♡
お母さんも走って寄ってきました。
「メッセージ付きのお菓子をいただき、
なんて出来たお子さんで・・・。
本当にありがとうございます」を言ってくださいました。
(娘は、戦う相手に箱にメッセージを書いたカロリーメイトを渡していました)
「おめでとうございます」
娘は、伝えていました。
家族が去ってからは
すぐに悔しいモード全開させ、
「あー、もう一回、1人で走ろっかな」
「その時に彼女のタイムを越えて、先生に報告するわ」
「そしたら、私、納得するわ」
「あー、先生に恩返しできなかった」
「あー、高校行ったら、陸上も勉強もめちゃやるわ」
あー、あー、あー、と
吐き出していました。
・・・・
悔しさをバネにする。
それがどういうことか、考えていた私は
そのシーンを思い出して
あぁ、あれか。と思いました。
たとえ、レースに負けても、
自分らしくない姿は見せない。
それはプライドとも言えるかもしれません。
悔しさをバネにして
今まで以上に練習に励み、心身ともに鍛えたら、
次のレースでは勝てるかもしれない。
でも、、、、また負けるかもしれない。
競技力が高まっても
レースが続く限り、
また同じことがやってくるのです。
ナンバー1、オンリー1になろうとすれば、
悔しさも人一倍になり、
もっともっと勝ちよりも負けが多くなるんです。
その度に、
悔しさを飲み込んで、
すべてバネになるからと、
やがて来るその日を待ち望むんじゃなくて、
今、できることをしよう。
それは
負けても勝つ。ということ。
私は、娘に言いました。
勝っても負けても
「藍ちゃんは強いね」と言われる選手になろう。
悔しかったけど、
スッと背筋を伸ばしたように、
選手としてのプライドを磨いていこう。
どんな時も、あなたのプライドがあなたを支えるように。
それが、
悔しさをバネにする。ってことだね。って。
それなら負けた瞬間でも勝てる。
なんなら、レースが始まる前からでも勝てる。
仲間がいなくてひとりぼっちのウォーミングアップ。
「ひとりこそカッコいい」を創ればいい。
体調が整わない時も
「最低限、このタイムは出そう」と適切に目標を設定すれば
結果によって自信を失うことはない。
ライバルたちに、あんな選手になりたいと思ってもらえること。
応援する人たちに、勇気と笑顔を届けること。
勝負には勝ち負けがある。
しかし、選手として、人としてのあり方は
勝敗に左右されたり、しない。
あのとき、ライバルの前で
背筋を伸ばせさせたのは、
「負けるもんか」という強烈な怒り。
その熱で、プライドを研磨していくんだ。
・・・・
このシーズン。
多くの子どもたちが受験というレースに挑みます。
夢を叶えて欲しいと思っている。
絶対にうまくいくと信じている。
だって、あんなにがんばったんだから。
でも、もしも
あと少しのところで手が届かなかったなら。
あなたのプライド(もう一人の自分)が
あなたに、こんな風に言うように、決めておいてください。
今、あなたの笑顔は美しいですか
今、あなたの背中は美しいですか・・・って。
悔しくて泣いてもいい。
諦めきれずに肩を落としていい。
怒りや悲しみを全身で沸騰させて
本当の私はこうだ!と
美しさを放ってください。
それまでは
「絶対に勝つ」の意気込みで。
すべての子どもたちのご健闘を
心から祈り、願い続けています。