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1990年1月、忍び寄るヘッド博士

フリッパーズ・ギターが多くのレコードから音源をサンプリングして構築したアルバム「ヘッド博士の世界塔」をリリースしたのは、1991年7月10日。

その4ヶ月前、1991年3月20日に発表されたシングル「グルーヴ・チューブ」の元ネタとして有名な楽曲の1つに「セッソ・マット」(イタリア映画・1973年)がありますが、二人が「セッソ・マット」と出会ったタイミングが分かるインタビューがあります。

このインタビューは、スペースシャワーの番組の中で、1990年1月16日に行われた二人になって初めての正式ライブである渋谷クラブクアトロの映像をホストの井出靖さんと振り返りながら3人がトークをしたものを書き起こしたものです。

1989年8月25日 「海へ行くつもりじゃなかった」リリース

1989年11月7日~18日 「フレンズ・アゲイン」レコーディング

1989年11月 メンバー脱退、小山田と小沢の2名体制に

1989年12月1日~6日 「それゆけフリッパーズ! 名画危機一髪」撮影

1990年1月16日 LIVE@渋谷クラブクアトロ

1990年1月23日~ 「カメラ・トーク」レコーディング開始

1990年1月25日 「フレンズ・アゲイン」リリース

1990年2月21日 成田のホテルで「カメラ・トーク」用の作曲

1990年2月22日 レコーディングのためロンドンへ
参照: Cornelius*Idea: Mellow Waves

詳細な時期は、おそらく「フレンズ・アゲイン」リリース後の1月末~2月上旬あたりのインタビューだったんじゃないかな、と思います。

井出 「今は何してるわけ? 最近の活動的な」
小山田 「今はもっぱらレコーディングで」
井出 「次のアルバム(セカンド、のちの「カメラ・トーク」)のレコーディングに入っている?」
小山田 「そうです」
井出 「月並みな質問だけど、どんな感じになったりするのかな、とか聞くじゃないですか?」
小山田・小沢 (笑)
小山田 「どんな感じになっちゃったりするのかな(笑)」

小沢 「今度は何だ、、、説明が、、、あ、関係ないけど、、、関係あるか、、、アルマンド・トロヴァヨーリっていう人いますよね?」
井出 「あ、知らないです」
小沢 「いや、井出さんのあれじゃないかな?」
小山田・小沢 「『黄金の七人』の音楽作ってた人で」
井出 「あ、あー(笑)」
小沢 「『セッソ・マット』っていう曲が、、」
井出 「あ、『セッソ・マット』、はい」
小沢 「アルマンド・トロヴァヨーリっぽくやりたいなーって、イタリア映画っぽく」

井出 「最初から知ってた?『セッソマット』」
小山田・小沢 「こないだ買って、、、」
小山田 「信藤(※フリッパーズ作品のアートディレクター)さんのとこで聴いてたら、『あれ? これどっかで聴いたことあるな』って言って」
井出 「いとうくんのレコードで全部バックに使ってて」
小山田 「そそそ、そのまま使ってる」
小沢 「で、びっくりして、これは井出さんかなって」
井出 「あれはさ、ヤン(富田)さん」
小沢 「はぁー」
井出 「いとうせいこうのレコード、全部ヤンさんだから」

井出 「(スタッフに向かって)ちょっと雑談しちゃっていいですか?」
小沢 「でも、これ重要なところかもしれない」

井出 「あれね、ヤンさんが一人で全部バックトラックを作ってるの」
小沢 「そうなんですね」
井出 「あれって、基本的に演奏者なんていないわけ」
小沢 「(申し訳無さそうに)僕あんま、そういうの、いとうせいこうさんとか聴いてなくて、、」

井出 「そうか、、、そんでね、人のレコードから全部取ってやってるのね、ラップだから。サンプリングとかして。宮崎(Dub Master X)っていうミュート・ビートのミキサーがいるんだけど、そいつにね、丸井のファッションショーのBGMの選曲を俺が頼まれてて、何のレコードを買ってもいいって、その時はすごいお金があったから(笑)、『イタリアン・グラフィティ』って坂本龍一がテーマを決めてさ」
小山田・小沢 (笑)
井出 「WAVEとかどこでもいいから、イタリアのレコードを全部買いに行ったみたいな感じでさ。その中の一枚だったの」
小沢 「あれいいですよね」
井出 「無茶苦茶いいよね」

小沢 「それで、あれより先に僕らのビデオの曲で、それが『黄金の七人』がネタで。その後、あれを買いに行って、聴いてビックリして」
小山田 「ああいうギャングっぽい、映画音楽っぽい、、、」
小沢 「とか言っても、俺らが歌っちゃえば、ただの(笑)」
小山田 「ただの変なやつっていう(笑)」


この後、「カメラ・トーク」のレコーディング、リリース、「ラブ・トレイン」「ファブ・ギア」を経て、同じ年の12月から「グルーヴ・チューブ」のレコーディングが始まった。

1990年12月25日 「グルーヴチューブ」レコーディング
1991年1月 「ヘッド博士の世界塔」のレコーディング開始
1991年3月20日 「グルーヴ・チューブ」リリース
参照: Cornelius*Idea: Mellow Waves

当初はミュージシャンを使った、生の演奏で録音されたという「グルーヴ・チューブ」(おそらく下記YouTubeで流れているバージョン)ですが、二人の思い描いた形にならなかったことから、相談を受けたプロデューサーの吉田仁がサンプリングのアイデアを提案したとか。その瞬間にもしかしたら、この時の井出さんとの会話につながったのかもしれません。
だって二人は「でも、これ重要なところかもしれない」って「直感で分かった」んだから。


以上、セカンド・アルバム「カメラ・トーク」の制作前だった時期に、すでにヘッド博士が二人に忍び寄っていた、という話でした。

以下は同じインタビューの書き起こしのおまけです。

井出 「いまビデオの話になったから、一応宣伝した方がいいと思うんだけどさ」

小山田 「ビデオが出るんだけど、、、」
小沢 「タイトルは?」
小山田 「ロストピクチャーズっていう」
小沢 「日本語題は?」
小山田 「それゆけフリッパーズ」
小沢 「発売は?」
小山田 「発売は、、、3月何日だっけ、、、15日!」
小沢 「ブー」
小山田 「12日」
小沢 「ブブー」
小山田 「10日」
小沢 「当たり」

井出 「あれ、『なんとか危機一髪』って言うんじゃないの?」
小山田 「あ、ちがう、『名画危機一髪』だ!」
小沢 「あ、そうだ」
小山田 「そそそ」
小山田・小沢 「それゆけフリッパーズ‼︎ 名画危機一髪」

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