自己肯定感の低さと成長意欲と向上心と
エンジニアとして成長したい!!
…と強く思っていた自分は、自己肯定感が低かった。
つまり、
「成長の必要がある」=「自分はスキルが低い」
という式が頭にこびりついていた。
なんかやんや休職などをふまえて、
「そもそも成長する必要ってあるのか?」
と思ったので、それについて書いていく。
成長ってそもそもなんだ?
成長を定義しないと。目標を定量的に設定しないと、ゴールしたかどうか分からない。ふりかえることができない。そんなことを考えたので、当時の自分はこんな風に定義した。
成長=自分の変化
つまり、「悪い変化などない」という前提に立った。
数式ではΔ(デルタ)であらわすように、少しでも時間軸で差異ができたら、それがすなわち成長だということ。
成長を求められる環境
成長を求められる環境にいた。現時点でお前は稼ぐ能力がない。だけど〇〇ができるようになれば、会社に貢献できる。そのためには成長する必要がある。
成長にはプレッシャーが必要で、プレッシャーのない環境では成長しない。
そして僕は「成長した自分」を夢見て努力を続けた。
「前からアウトプットに変化が見られない」と言われて、心が折れた。
※※蛇足※※
当時カウンセリングに通っていて、「発達障害では?」と言われていた。
いろいろな病院で診察を受けた結果、発達障害だと診察された。
ただこの診断が僕を救ってくれたわけではない。
「それで、どうやって生きていったらいいんだ?」
※※ここまで※※
成長をする必要なんてそもそもなかった
成長というと、「できなかったことができるようになること」だと思っていた。例えば、今までコードを書くのに8時間かかっていたのを、2時間で終わるようにするとか。。。
だけど、スポーツのように、目に見えるタイムではかることができることってそんなになくて。
自己啓発になってしまうけど
自分を変える必要はなかった
ということに気づいた
スキルの蓄積と選択肢の多さ
でもそれだと、周りの人から「あいつは成長がない」と思われるよなー。しんだいよなーと思う。
実際に、「お、あいつ成長してるな!」と思わせるのは、
いかにたくさんの選択肢を持っているか
ということを考えるといいのじゃないかと思う。
たとえば、誤字脱字が多ければ、どういう工夫をすれば、そのミスを減らせるか。
その工夫=選択肢の多さが、アウトプットに変化をもたらして、「成長」を見えるようにするのではないか。
発言とか人格とか、内面の「成長」を求める人もいるけれど。。。
それは洗脳じゃないのか? と思ったりする。
自分に都合のいい考えをするようになったからほめる。
それを洗脳と成長と、どう違うのだろう?
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