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Grandpa's cloud(5)

雨の日が嫌いになったのは、あの人が雲になってからだ。
三十三年前、冬、広島。

僕が初めて「死」に直面したその日、空には雲が浮かんでいた。

千九百八十八年十二月十二日。

じぃちゃんは死んだ。


大正に生まれ、幾度もの戦中、戦後を苦しみながら生き抜き、そして苦しみながら病と闘ったじぃちゃんの最期は、あまりにも呆気ないものだった。
窒息が直接の死因。
自らの力で痰を吐き出すことができない程、そして助けを求めることもできない程、じぃちゃんは弱っていた。

じぃちゃんは、静かに、目を閉じた。
その歴史に、終止符をうった。



その日、よく晴れた冬の日、僕はいつも通りに幼稚園にいた。
ちょうどお昼ご飯を食べ終わった頃だったろうか、僕は園長先生に呼び出され、帰り支度をするように言われた。
言われるがままに支度をして待っていると、母親が血相を変えてやって来た。

「よっくん!じぃちゃんが死にそうなんよ!」
そう言って車に飛び乗る母親の目は、すでに真っ赤だった。

「間に合わんかもしれん。間に合わんかもしれん。」

呪文のように呟き続ける母親を横目に見て僕は、なんだかしらないけれど大変なことが起きていることを知った。


病院に着き、駆け足で病室に向かう。




ドアを開ける。




白いカーテンが揺れている。




白いベッドが見える。




ばぁちゃんがベッドの横に力無く座っている。




一本ずつ近寄る。




ばぁちゃんが静かに首を振る。




母親が泣き崩れる。




じぃちゃんの声がしない。




眠っているじぃちゃんの胸元に、花が置いてある。




駆け寄る。




声をかける。




「じぃちゃん!よっくん来たよ!」




返事は、ない。




「よっくん、来たんね?」が聞こえない。






いつまで経ってもじぃちゃんは、喋らなかった。
眠り続けるじぃちゃんの側で僕は、じっとじぃちゃんの顔を見ていた。
鼻と耳に詰められた綿の白さと、じぃちゃんの顔に触れた時の信じられないような冷たさが、僕に「死」を教えていた。


大人達はベッドの周りで泣きじゃくっていた。

僕は喋らなくなったじぃちゃんをもう一度見て、わけがわからなくなって、その時初めて声をあげて泣いた。



通夜、そして葬儀は慌ただしく行われる。
黒い服を着た大人達が走り回っている。
悲しみを忘れる程というより、悲しくなる暇など与えぬようなスピードで時間は過ぎる。

葬儀のとき隣に座った兄ちゃんは、人目もはばからず泣き続けた。
僕はといえば、何かの呪文のようなお坊さんのお経を、ただただ聞いていた。
そして兄ちゃんは僕に「よっくん、泣いていいんよ?」と言った。
「お前は強いのう。」とも言った。
いや、それは違う。強くなんかない。
僕は何日か経っても、じぃちゃんがいなくなったということを理解することができていなかったのだ。

火葬場に着き、じぃちゃんが眠る棺の中に親戚一同が花を入れる。
それぞれが最後の言葉をかけ、額に触り、涙しながら別れを告げる。

僕はその時のじぃちゃんの額の冷たさをはっきりと覚えている。
ぐいっと引っ張られるような、吸い込まれるような冷たさだった。
僕は慌てて手を離した。
そしてそれは僕が「死」を理解した瞬間だった。

火葬が終わり、しばらくして再び僕らの前に現れたじぃちゃんの姿に、今度は僕も流れ出る涙を止めることはできなかった。
そこには、骨というよりは灰に近いものが広がっていた。
骨粗鬆症で、ぼろぼろになったじぃちゃんの骨は、その形を留めることができなかったのだ。
親戚たちが骨を拾おうとして箸で掴む。
しかし、あっけないほどに崩れるじぃちゃんの骨。
ぼろぼろ、さらさらと、流れ落ちる、じぃちゃんの骨。
その光景に、涙をこらえられる人はいなかった。

骨折した足の辺りには金属片が生々しく残っている。
一つは折れた骨を固定する金具。
そしてもう一つは銃弾だった。
それは紛れも無く、じぃちゃんが生きて来た昭和という時代の傷跡だった。

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