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不登校とひきこもりという言葉


学校という所属があるから不登校。なければ・・・

登校しないという状態を表す言葉がないため、昔は「登校拒否」といっていましたが、本人の意識に「拒否」しているわけではないことも場合によってはあるため、「不登校」という言葉になりました。
ひきこもりは、仕事や学校に行けない状態で、さらにご家族との関係も絶っていて自室で過ごしている状態を表しています。もちろん病気など診断がある場合は除きます。病院に行くことを拒否している場合は、診断がつかないのでひきこもりか何か病気のためなのか微妙です。
状態像として、家に居ることに変わらないのですが学校から離れた場合に、ずっと不登校と言うのも変な話なので、ひきこもりと言うのでしょう。
ですから、ご家族が心配するのは、不登校になったら、そのままひきこもりになるのではないか、という点です。
現実は、そんな簡単に不登校からひきこもりに移行はしないのです。しかし親御さんは、何もわかりませんからそういう不安をもってしまうのも仕方ないことです。

どちらも、社会的に悪いことにされている

不登校もひきこもりも、その状態像を表しているだけなので、本人がそういう状態である、というだけです。その点について良いとか悪いとか他者が評価をするという日本社会の風潮に疑問をもってしまいます。
例えば、25歳、インターネットで投資して年収500万円あります、買物はすべてネットでして、友だちも会ったことはないけどネッ友がいて、とくに困ることはありません。実家があり、親にも月5万ネットバンキングで入れてます。
こういう人もひきこもりとカウントされるわけですが、別に問題なし、本人の自由、生き方だと考える人が多いのではないでしょうか。むしろ社会のしがらみから解放されて羨ましいと思う方もいるかもしれません。
こういう人はひきこもり状態であっても、問題なしと見なされる。
でも多くの不登校やひきこもりの人たちが息苦しいと感じるのは、家にいて、ご飯食べて、寝ているだけではダメだと。ダメ人間なんだと。なぜか侮蔑的、差別的に扱われる。
社会に役立っていない、怠惰な生活をしている、逃げている、努力していない、さらにエスカレートした暴言がネットを中心にあふれています。
ネットだけではありません。地域の人もずっと部屋にこもっていると噂になったり、ご家族が尋ねられたり、といったことがあります。
ついには、ご家族もネットやマスコミや周りの人たちの意見、世間の意見に飲み込まれていき、酷い言葉を本人にかけてしまうのです。
「いい加減にしろ。いったいいつまで、こんな生活を続けるつもりだ。」みたいな感じでしょうか。

いい学校→いい会社=いい人生 という幻想

文科省も不登校の支援の目指すべきところは、再登校ではなくて社会的自立だと言いだしました。その点については、再登校を目標にするよりはとてもよい表現だと思います。
でも社会的自立というのは、先のネットで投資する生活の例からもわかるように経済的に生活できるレベルになるということですよね。だから一般的にはひきこもりの人の支援の先にあるのは「就労」。働いて生活費を稼げるようになりましょうと。それが当たり前なんだと暗黙の前提になっています。
しかし就職しても、これだけ心身を壊して働けなくなるほどブラックな会社がたくさんあるのが日本社会です。
不登校やひきこもりを批判する一方で、こういうブラックな現実があることもネットやマスコミやあるいは身近なご家族が見せつけているわけですよね。世の中にどれだけ「いい会社」なるものがあるのか全く見当もつきません。
しかも、求められる能力がとてつもなく高くなっていると思いませんか?PCの基本的な扱いはできること、コミュニケーションは、職場の空気を読みまくって、自己主張はしないで、上司の考えを先読みしたり、仲間とも上手く合わせたり、取引先の相手の無茶な要求にもなんとかこなしたりといった能力が求められます。上司のイビリや先輩社員の嫌がらせ、イジメ、〇〇ハラスメントに耐える忍耐力、次から次に押し付けられるよく分からない指示や文書作成、多少キツくても迷惑がかかるからと休まないタフな体力、そしてその仕事に求められる専門性や資格の数々などなどなんかやたらハードルが上がってます。しかもちょっとミスすると「使えない」「これだから若い人は」などと言われるのだけど、明るく、楽しそうに振舞わなければならないという、、、罰ゲームですか。
じゃあバイトから始めてみたらいいじゃない、と言われてもバイトと正社員とやってる業務は同じという職場も数多くあります。バイトなのにリーダーにされてバイトの面倒を見させることも珍しくないです。経営者に合言葉は「代わりはいくらでもいるんだから」だったのです。そのツケが人手不足となって今、大問題になってますけど。
先日タクシーに乗ったら、72歳だと。ご高齢でも元気に頑張っておられるのですね!と会話したら、なんと会社の中で一番若いんですよ、と。もうビックリです。若い人に働いてほしいと思うのなら、働きたいと思わせる職場をつくるのが先なんじゃないかと。
ネットやマスコミや地域のいわゆる世間と言う人々が、不登校やひきこもりを批判するのは、自分はこんなに苦労して働いているのに、何オマエは遊んでるんだと。そういう嫉妬心以外の何物でもない。誰かを叩いて自分のストレスを晴らすのは、立派なイジメですよ。

社会の方がおかしくないですか?

子どもが、学校が合わないと思って素直に「学校に行けない」ということの何がいけないのか、それを批判する「世間」のみなさんの振る舞いには理解できません。
学校以外の選択肢がない方がおかしい、とどうして考えることができないのか、それが不思議でなりません。
ひきこもりにしても、ご家族が心配したり不安になったりするのはわかるのですが、「世間」がひきこもりはダメ人間だ、みたいな批判をする社会がおかしいのです。
自立していないじゃないかと言う人には、自立って何ですかと問いたいです。結局のところ、どこかからお金を得るということですか?それだけが自立ですか?お金をかけない生き方をしてはいけませんか?
そういう考え方ばかりしていたら、結局はお金だけが全てということになりませんか?あまりにもお金しか考えないようになったから、バブルの時にエコノミック・アニマルだと揶揄されましたよね。
だから教育とか子育てとか少子化とかお金だけでは解決できない問題がいつまでも解決できないのではないでしょうか。
少し話が大きくなりすぎましたが、不登校とかひきこもりとかそういう状態になった人を悪いことのように言ったり、批判したりする「世間」の意見には耳を貸す必要はありません。加担するような意見は、許すことはできません。どんな生き方でも、本人の選択であれば認めてくれるような社会がいい社会です。いい学校、いい会社よりもいい社会であることの方が、よい人生になると信じています。