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【短編小説】ふたつのH(エイチ)

「あ、社長、おはようございます。今日は早いんですね」

「佐伯……お前だけか……」

「えっ? 何がです?」

「みんな死んだ。流行りの伝染病で」

「そ、そんな……」

「昨日、急に風向きが変わっただろ。それでやられたんじゃないかって近所中で言ってるよ」

「そう言えば、ここに来るときに、いつもより救急車が多かったような……」

「だろ? でも、なんで俺たちだけが残ったんだろうな」

 社長の香坂がため息をついている間に、美佳は自分の席に着いた。いつも社員たちの話し声や電話の音で賑わっているオフィスはもぬけの殻のようだ。皆の顔や声が思い出されて、今にでも扉から誰かが入ってくるのではないかと思われる。皆が死んだなんて嘘なのではないのか……? 美佳は香坂との沈黙に耐えられず、重い口を開いた。

「あのー……どうします?」

「ああ……俺もずっと考えてたんだけどな、明日からの1泊の社員キャンプは、予定通り実行する」

「えっ? なに言ってるんですか?」

「みんな楽しみにしてたろ。きっとお前も。俺もだ。それに、どうせ死んでも火葬場は混んでてすぐには焼けないだろうから、みんなのむくろ、、、も棺桶に入れて連れて行く」

「そ、そんな悪趣味な……」

「こんな風になったら、もう会社も立ち行かないだろ。最後に楽しもうぜ。ということで、今日の俺たちの仕事は、みんなの家族に連絡を取って、許可をもらうことだ」

「ええー!?」

 香坂は社員名簿のコピーを美佳に渡し、女性社員を担当させた。美佳ではどうにもならないときは、香坂が代わって説得に当たった。ふたりして1日かけて全ての家族から許可を得た。18個分の棺桶を購入し、それらを入れる大型トラックに輸送を頼んだ。明日の朝、ふたりで同乗し、棺桶を乗せてから、亡くなった社員たちの家を回り、遺体を全て引き取って、そのままキャンプ場へ向かう予定である。防腐剤と冷却剤、現地での食料などは、会社帰りに香坂が買うという。

「よし、明日は早いからもう帰れ。ゆっくり休めよ」

「はい……お先に失礼します」

 次の日は快晴。皆の家や病院を回り、死化粧されたむくろに涙を流しながら、トラックの運転手も一緒になって棺桶をコンテナに積み込んだ。キャンプ場に着いたのは日が暮れて間も無くのことであった。昨今の状況でキャンプに来る人間など皆無に等しいため、貸し切り状態である。
 香坂は棺桶を広場に円形に並べようと美佳と運転手に提案し、美佳は男ふたりがコンテナから出してきた棺桶を綺麗な円になるよう微調整した。全て並べてから、運転手はまた明日来ると言い、トラックに乗って帰って行った。もうあたりは真っ暗である。美佳と香坂は懐中電灯を頼りに、薪置き場から取ってきた薪を円の中心に組みながら積み上げ、火をつけた。

「綺麗ですね」

「ああ」

 円の一部を少し空けておいたところにふたりして並び、燃え上がる炎を前にして、簡単に食事を済ませた。互いにアルコールが回り、どちらともなく泣き出した。美佳の頭が香坂の肩にもたれかかると、香坂は美佳をぐっと引き寄せ、口づけをした。

「ずっと好きだったんだ」

「私もです」

 こうなるために互いが生かされていたのではないかと思った。皆への後ろめたさは、ふたりを燃え立たせる力に変わり、何度も求め合った。

 美佳が目を覚ますと、くすぶっているキャンプファイヤーの跡に、白いものが散乱していた。

「えっ……あれって……」

 美佳は上体を起こして目をこらした。

「社長、起きて……起きてください!」

「……ん? なに……お前、まだ俺のことが欲しいの?」

 太ももに伸びてきた香坂の手を振り払い、

「違います! 見てください、あれ……」

 香坂は美佳の指差した方を見て、大きく目を見開いてガバッと起きた。

「何だ、あれは」

「骨、です……きっと」

 薄い毛布を剥いで、2人してバタバタと服を着て、薄く煙っている円の中央にそろりそろりと近づいた。いくつもの頭蓋骨の丸みと黒い眼窩ばかりが目立つ。回りに目をやると、全ての棺桶の蓋が開いている。美佳ははっと息をのんだ。

「どうした?」

「あの……今、一瞬見えたんです……皆がキャンプファイヤーの回りで踊っている姿が……そして、自らの意思で炎に飛び込んで行ったのが」

 香坂は開いた口が塞がらなかった。しかし、去年の忘年会の余興で、美佳が皆を占い、ほぼ全て当たっていて、周りを大層驚かせたことを思い出した。

「お前、骨を見て、どれが誰のだか分かる?」

「あ、はい……やってみます」

 美佳は手前にある頭骸骨をひとつ手に取り、じっと見つめた。

「金子さん……」

 近くにあった他の骨も拾い、自分の左隣へ置いた。

「こっちは……小林さんです」

「よし、ちょっと待て、骨壺を持ってくる」

「えっ? 骨壺なんてあるんですか?」

「ああ、遺族に返すときに、一緒に渡そうと思って人数分用意しといたんだ」

 香坂が荷物置き場から持ってきた骨壺に次々と骨を収め、名前を書いたラベルも貼った。

「全員分片付いたな」

「あのー、何て言ってご遺族にお返ししますか?」

「そうだな……高速道路の検問で、遺体の移動を止められたから焼いてきましたとでも言おうか」

「そうですね。伝染病拡散阻止のために、あり得そうなことですもんね」

 運送会社に連絡し、1番小さなトラックに変更したが、今更料金は変えられないと念押しされた。運転手が来るまでに、棺桶も全て焼いた。
 会社に戻った次の日、香坂の車に美佳も同乗し、骨壺を各家に届けに回った。

「やっと終わったな」

「みんな泣いてましたね……いきなり小さくなってびっくりしたのかな」

 香坂は閑散とした通りの大きな街路樹の下に車を横付けし、美佳の唇を奪い、美佳はされるがままに受け入れた。

「お前はここでいいよ。明日もいつも通り出社してくれ」

 愛し合った場所から1番近い駅で、香坂は美佳を降ろした。

 ──もっと一緒にいたいって言って、甘えればよかったかな……。

 翌日、美佳がオフィスに到着すると、薄墨色の和装で皮膚も灰色の見たことのない老婆が、襷をかけ、頭には手拭いを被り、竹の箒で部屋の掃除をしていた。香坂のデスクに目をやると、骨壺がひとつ置かれている。

「えっ? まさか……」

 美佳が急いで骨壺に近づくと、老婆が側までやって来て、美佳の目を見つめた。美佳は全てを悟り、老婆の肩に頭を乗せてむせび泣いた。老婆は赤子をあやすように、美佳が落ち着くまで、背中をやさしくぽんぽんと叩いた。

「あの……これを預かってもいいでしょうか?」

 老婆は言葉なく頷いた。美佳は発作的に骨壺を抱え、オフィスを飛び出した。人影のまばらな電車に揺られて、やって来たのはキャンプ場だった。一目散に香坂と初めて結ばれた場所へ向かった。皆の名残の灰を前にして座った。骨壺を抱えながら、ずっと泣いていた。日が落ちる直前に薪を積み、火をつけた。炎が上がると、空が急に暗くなった気がした。

「綺麗ですね」

 ああ、と答える香坂の声が聞きたかった。
 炎以外は次第に闇に包まれ、骨壺と並んで体を横たえた。まどろんでいると、炎のパチパチという音が耳をつんざくほどに大きく聞こえ、時々はっと目を覚ました。それを繰り返すうち、眠りに落ちたと思ったら、この前と同じように、炎の色を反射させた香坂の体に抱かれていた。

 キャンプ場の管理人が月に数回の見回りにやって来た。誰もいないはずの場内で、広場の中央で煙がくすぶっているのを不審に思い近づいてみると、その傍らには、骨壺に腕を絡ませている白骨化した遺体が横たわっていた。


(了)



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