作品が爆発的に広がるために必要な2つの軸、という話
「へっぽこマーケターの日々」第35回(前回は3/5更新)。
今回は、週に一度のチーム横断のファンマーケティング定例(通称・ファンマネジメント定例)で議論した、表題の話についてまとめようと思う。
前半は前提パートとなるので、文脈が理解できそうな人は前半は太字だけ拾って後半をじっくり読む、でもいいかも知れない。
今週の定例のお題
序盤、ファシリテーターである自分は議論のテーマとして、「"ファンに(作品について)語ってもらう状態"の方法の言語化プロセス」をメンバーに提案した。まずは課題の妥当性の検討からスタート。
※課題は、ファンに(作品について)語ってもらう状態を言語化すること
そもそも、この課題を設定した背景は、ポール・アダムスの『ウェブはグループで進化する』にあるように、情報爆発時代では身近な人の発信に人は影響を受けることから、誰かに語ることの重要性を感じているからだ。
誰かに語ることといえば
・クチコミ
・UGC
・STORY化(DRESS)
・ナラティブ
など、いろいろなフレームが出回っているが、これらは「誰かに語ること」という点で共通していると思う(同じものだと言いたいのではない)。
上記のようにフレームワークはいろいろあるものの、具体で実行できるほど腹落ちもしていない側面もある。なので「自分自身が物語について語った体験」を言語化して、方法論を見出したらよいのではないかと思った。
そうして今回の定例のお題「"ファンに(作品について)語ってもらう状態"の方法の言語化プロセス」に至ったのである。
課題の妥当性の検討
以下が論点となった。
・切り口
・関係値
・ムーブメント性
● 切り口
「何を語ってもらうのか」という問いだ。「人生を変えたマンガ」なのか「好きなマンガ」なのか「最近読んだマンガ」なのか、語る切り口にもライト〜ヘビーとグラデーションがあるはず。
要するに、「ファンに語ってもらう」という表現ではアクションを促すには解像度が低いのでは?という問題提起だ。
● 関係値
「ファンとは誰か」という問いだ。作品との関係値によって「語る」トリガーの最適解は異なることを考慮したい、という提案だと思う。
● ムーブメント性
「語ってもらう状態を、同時多発的な現象(ムーブメント)にできるか?」という問いだ。確かに『ファンベース』(佐藤尚之・著)を意訳すると、「濃いファンと繋がる」ことと「マスで広く知ってもらう」ことは両輪として動くべきだ。
しかし、「濃いファン」はパレートの法則然り、全体の5〜20%でしかない。つまり彼らが語るだけでは、ムーブメントは起きないのではないか、というのがこの問いの趣旨だと理解している。
補足:濃いファンとは
作品について広めてくれたり、二次コンテンツ(二次創作ではなく、映像化作品やグッズなど)に課金してくれる人々を想定している。彼らは、作家の作風や、自分が触れた作品について深く入り込み、誰よりも楽しんでくれる存在だ。
ここまで前半パート ---------✄
「ムーブメント性」への糸口を探る
とは言え作家へのさまざまな還元という点では、濃いファンの存在も非常に重要なのである。
そこで、定例の議論は「濃いファンとの繋がり」と「爆発的な広がり(ムーブメント性)」の両立を探ることに移っていった。
ヒントとして挙がったのが、複数のコミュニティだ。どれも盛り上がってると言われているが、外から見た盛り上がり方の違いがある。どちらも熱量は高いが、コミュニティの内外で「ムーブメント」の発生に差がある(ように見える)のだ。仮に、Aさん・Bさん主宰のコミュニティの比較としよう。
補足
展開の都合上、Aさん・Bさんという表現を用いているが、特定のコミュニティを指しているわけではなく、あくまで2つのタイプのコミュニティの比較である。
2つのコミュニティの違い
共通するのはどちらも「主宰者のファンコミュニティ」という側面を持ち合わせているところである。それを前提に下記の相違点を検討する。
▼ムーブメントの発生
▼メンバーにとっての主宰者
▼メンバーがやりたいこと
これを抽象化すると次のようになる。
▼メンバーが求めていること
ざっくりとした仮説
議論のすべてを網羅できなかったため、やや粗いストーリーではあるが、これらの比較を通して、「ムーブメント」の発生が「コミュニケーション」を担保していることに依存してるのではないか、という見立てができあがった。
もちろん、Aさんのコミュニティも「コミュニケーション」だけでなく「コンテンツ(思想)」がある、つまりコミュニティの活動の価値も担保されていると思う。
しかし、一方でBさんのコミュニティは「コミュニケーション」よりも「コンテンツ(思想)」に偏っているため、「ムーブメント」が起きないのではないか、という意味である。
※「コミュニケーション」「コンテンツ」と「」で囲っているように、日常での用法よりも、抽象的なラベルにこれらを用いている。
この見立てを言い換えると、「コンテンツ(思想)」と「コミュニケーション」の両方がバランスよく備わっていることが、「ムーブメント」すなわち「語ってもらう状態」が同時多発的に起きる要因になるということではないだろうか。
現場の人間の課題感
「コンテンツ(思想)」と「コミュニケーション」について考えたとき、思い出されたのは日ごろの自分たちの活動である。もしかしたら、自分たちは「濃いファン」にしか届かない状態、つまり「コンテンツ(思想)」にかなり偏っている可能性がある。
これは言い換えると、「あいつが言うならおもしろい」状態は起こせるが、「誰が見てもおもしろい」が足りないのでは、ということだ。
「コミュニケーション」とは何かを考える
そこで、定例では「ムーブメント」を起こすポテンシャルを秘めた「コミュニケーション」性のある事象の例を考えてみた。
出てきたのは、「コミュニケーション」とは、
・繋がることに価値を置くこと
・空気を読むこと
と言えるのではないかという意見だ。
たとえば、アイドルは「コンテンツ(思想)」と「コミュニケーション」それぞれで語ることができる体験だ。
・楽曲や歌詞やクリエイティブを楽しむことは、「コンテンツ(思想)」を楽しむこと
・握手会などを楽しむことは、「コミュニケーション」として楽しむこと
上記のような2軸がアイドルには存在する。だから強い。
今後チャレンジしたいこと
とは言え、「コミュニケーション」に寄せることは、いわゆる小手先のバズり方を実行することではない、というのもなんとなく心得ている。と同時に、「コンテンツ(思想)」を考え続けることも必要だと思う。
(これは過去に逆にコミュニケーションに寄せ過ぎた発信をして、空振りをした経験談に依拠している)
というところまではみんなで考えたが、こうしてまとめてみると、まだ「???」なところが多い。
また来週以降も、引き続き別の角度から「コミュニケーション」と「コンテンツ(思想)」について議論をしていく。
わたしをサポートしたつもりになって、自分を甘やかしてください。