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#1651 行動主義による学級経営

今回の記事は、過去に書いた以下の記事から着想を得た。

ぜひ、参照していただきたい。

学級には、様々なタイプの子どもが存在する。

「優等生」「やんちゃ君」「普通の子」「空気に流される子」「気分の浮き沈みのある子」「不思議ちゃん」などなど。

このように「レッテル」を貼ってはいけないことは重々承知している。

しかし、学級を受け持つ担任教師には、「子どもたちを教育する」という仕事がある。

「人格の完成」を目指すという教育の目的に則り、学級の子どもたちを誰一人とり残すことなく教育することが求められる。

一定の学力を保障しなければならない。

道徳性を涵養していかなければならない。

このような責務を背負っている。

したがって、どんな子どもが存在しようとも、振り回されることなく、全員に一定の教育を施すことが求められるのだ。

しかし、何度も繰り返すが、学級には様々なタイプの子どもがいる。

教師を悩み苦しめるつもりはないだろうが、結果的にそうさせている子どもがいる。

これは自然の理であろう。

同年齢集団の子どもが集まったとしても、そこには「精神発達の年齢差」が存在する。

これは仕方のないことなのだ。

例えば、同じ4年生の子どもたちであっても、精神年齢が6年生に近い子どももいれば、4年生同等の子どももいるし、1年生に近い子どももいるのである。

このように、精神発達の年齢がバラバラな子どもたちが混在しているのである。

このような集団に対して、「他律よりも規律」「規律よりも自律」と説いても、一部の子どもにしか響かないのである。

精神年齢が高い子どもは、教師の意図や思いを理解してくれるだろう。

しかし、精神年齢の低い子どもには、教師の思いが届かないのである。

それを理解せずに
「自律しなさい」
「言われる前に自分で考えなさい」
「あなたは何年生ですか?」
と説いても、無意味なのである。

もぐらたたきが延々と続くだけである。

教師も、周りの子どもも、疲れ果てててしまうだけである。

では、どうすればいいのか?

全ての子どもに適切な行動をしてもらうためにできることは何か?

それは「システム構築」である。

「自律」というハードルが高い原理は、精神年齢の高い集団にしか通用しない。

そうではなく、「有無をいわずに行動する」手順・システムをつくり上げるのである。

前者のように、頭に訴えかける「認知主義」のアプローチだけでは、限界がある。

そこで、後者のように、手順を身体化させる「行動主義」のアプローチを取り入れるのである。

システムは「ルール」とは異なる。

「ルール」は人間の意欲に依存するので、ルールを守らない人間が出てくる。

しかし、システムは手順である。

流れの通りに行動を実行することになる。

そこに「守らない」という選択の余地は存在しない。

人間の意欲に依存しなくていいのだ。

このような「システム」を導入することで、全ての子どもが適切な行動をできるようにしていく。

もちろん、システムを導入する部分は限定する。

子どもの学校生活全ての場面にシステムを導入することはできない。

子どもはロボットではないからだ。

システムを導入できそうなところは、
・朝の会や帰りの会の準備・進行
・授業と授業の間の準備
・給食準備
などである。

教師をしていて、よく子どもたちを叱る場面を思い出すと、上記の3つであることが多い。

ということは、このような部分にシステムを導入すれば、子どもの不適切行動を抑えることができるだろう。

タイマーを使って、「〇分以内に準備」などという練習もできる。

このように、システム構築をしていくことが、学校の教育活動を円滑に進めていくことに寄与する。

教師のストレスや無駄なトラブルが減り、学級経営が安定する。

それがひいては、子どもたちの学力向上や道徳性の涵養につながっていく。

誰一人とり残すことのない教育を実現するために、「システム」を手段として活用していくのである。

最後に「システム構築」を図っていく上で、重要なポイントを3つ述べていきたい。

➀システムが完全に構築されるまでは、フィードバックを続けること
②学級のシステムはできれば教師ではなく、子どもが考えた方がよいこと
③それでもシステムになじめない子どもには、個別指導をすること

以上の3つである。

システムを構築するためには「強化」「価値付け」をする必要がある。

システムに納得してもらうためには「子ども自身」が考える必要がある。

システムの網の目から漏れる子どもには「個別指導」をする必要がある。

このことを念頭に置き、学級のシステム構築を志向していきたい。

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