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『Para Mi Familia』Vol.3開催に寄せて ~00's関西メタリックハードコア周辺の暗黒時代~ その①

キスがーつめーたいよー!いつもーとちがーうよー!
どうもエロリンです。
ICE BOXも溶けちゃう暑さですね、言うてますけど。

2024.08.09.華金 at 火影

ということで、8/9は華の金曜日に火影で開催する、自分がベースを弾いている”Burning Sign”と同世代の”B Side Approach”との2バンド企画『Para Mi Familia(邦題:家族のために)』、今回はB Side Approachが曲作り中のため伊藤部長が同じくVo.を務める”Paciência”との共同企画とし、これまた同年代の”NOTⅡBELIKESOMEONE(NTBLS)”をゲストに招いて3マンとなります。
DJにこの日はヤーマンラスタ仕様のUM8EX-C)と、大阪No.1カオスプレイス戦国大統領から酔大。ありそうでない、ナイスラインナップじゃないでしょうか。

あとNTBLSは翌日にEnvyと2マンも控える中での出演。久々となるライブ(毎回久々のライブな気もしますがw)が2daysは驚かせてくれますね。
あと最近この表記が多いんですがNTBLSは正式名称なんでしょうか。

翌日のNTBLS×Envy 2マン
2024ハイライトの一つ
これはVo.Taf
在籍時代のNTBLS

まぁこの『Para Mi Familia』自体は、邦題にある「家族のために」というメインテーマで、土日は家族で過ごすためイベントは華金の夜に、というのをコンセプトとして何となくいつも3マン+DJくらいのボリューム感で不定期開催しています。
自分は異常限界独身男性なのでテーマにあまり関係ありませんが・・・。

今回は同年代の3バンド+DJということもあり、そちらにあわせたテキストということで、今回の出演者たちもまだ色んな意味でお盛んであった00年代の話を少々してみようと思います。

ちなみに各写真は順序も文脈もほぼ関係なし。
提供はSMDcrewのNewmenより。

顔が凸凹すぎたせいか
わたくしパンスト相撲は
負け知らずでした

ここ数年は特に若いバンドやお客さんも増えたり、長い歴史のベテラン勢も元気だったりで、国内のメタリックなハードコアコミュニティは約20年ぶり?に活況を迎えているように見えます。ここまで長かった・・・。

若い人たちは異常な盛り上がりをみせた90's~00's初頭のバンドに自らが経験できなかったぶん強烈な憧れを抱いたり、逆にその年代からしぶとく生き残ってきたバンドたちは半ばレジェンドに近い立ち位置になったり(皆さん未だに切磋琢磨してるので本当に凄い、、、)。

2008年フリースタイルアウトロ
もれなく全員細い

・・・とまぁ、ここまで来たら記事タイトルを含めて勘のいい方は若干お気付きでしょうか、00'sは途中からハードコアのコミュニティ(特に関西)が少しづつ暗黒時代に入っていったことを・・・苦笑。

要するに、今ちょうどアラフォー前後の我ら世代は大盛り上がりだった時代の熱にうなされるようにバンドを組み、先輩たちに追いつけ追い越せとスタートするのですが、始めてからはお客さんも目に見えるように減っていき試練&苦難&イバラの道がスグに待っていたという(涙)
どうせこの時代のことなど誰も書かないでしょうし、忘れ去られていくのみなのは分かっちゃいるのですが、これが最初で最後の抵抗録。

自分たちの力のなさだったり、他にも至らない点が多々あったことも勿論承知ですが、数少ないながらも仲間と呼べる者たちと肩を組み、ハードコアが好きな気持ちに出来るだけ真っすぐ冬の時代を駆け抜けた同志たちに捧げる愛のメモリーズです。
お~い!あの頃ライブハウスによくおった人たち、元気でやってるか?

ちなみに今回のテキストはめちゃくちゃラフスケッチで主観が強いのと、あとかなりのユーモアを交えているので、そこんとこ大前提で宜しくお願いします!


■90's~00's前半の関西メタリックハードコア

どんだけザックリした話やねん、とはなりますが。

もともと自分なんかは高校生のときにビデオで観た98年のAIR JAMに衝撃を受けた完全なるメロコアキッズ出身、前後して当時の洋邦ミクスチャーやラウドロック的なものを通過しつつ、それらにやや食傷気味になっていく99年~00年あたりがNYスタイルのハードコアキッズとして目覚める時期だったんですよね。
何も知らないガキんちょ。
でも同世代では珍しくない話だと思います。

SMDとKRS的な?
撮影時期不明

関西ではT.J.MaxxSecond To Noneを中心としたHardCore BreakOut(HCBO)、追ってSxSxSなどが猛威を振るっていた90'sの半ば~後期にかけて、自分などは若干リアルタイムからはずれており(B Side Approachの面々などは少し早めから足を運んでましたね)、最初は噂話で色々と聞くような感じでした。

大阪は勿論ながら、神戸がDyingrace, Edge Of Spirit, John Holmezなど揃い踏みで特に強く(Straight Savage Styleのメンバーも神戸が多かったすネ)、京都はCrank、奈良はCrap House、滋賀はJim Holeなど、各地それぞれで看板バンドが引っ張る形だったかと。

時系列補足のトピックでいえば、Radical Eastレーベルリリースが96年~Nothing But A Hardwayのコンピ発売やStronger Than Beforeのビデオ収録があったのが98年、Edge Of Spiritの1stが99年、Dyingraceのアルバムは00年などって感じです。
Biohazard, Madball, Subzero, 25 Ta Life, Next Step Upなど、来日バンドの公演が最初に盛んだったのもこの頃でしょうか。
昨年亡くなられたMicth SxE氏の招聘なども多かったと思います。

まぁそこからの00'sとなるのですが、00's初頭はまだ90's後期の勢いそのままな部分もあったものの(特に関西はハードコアキッチンからの相次いだリリースも強かった要因かと)、HCBOのバンドが若干ペースダウンしていったり、SxSxSもハードコアプライドの相次ぐ開催などで力は示していたものの短命で終わるバンドが多かったことなどもあって、00's半ばには色々なパワーバランスが崩れ出していくような雰囲気がありました。

Agnostic Front 2007
at 難波ロケッツ
俺はTJで頭から落ちて
病院行きアグノ観れず

自分が最初にハードコアプライドへ行ったのはVol.3が2001年、おそらく前後を通じて最大規模だったのがマザーホールで開催されたVol.4で2003年、ベイサイドジェニーに戻って開催されたVol.5が2004年、ラストのVol.6は2006年。
いずれの日も1000人を超える動員(Vol.4と5は2daysでしたが両日大入りでしたスゴイ)だったものの、ちょうど05年あたり?を境に、段々と普段のローカルライブでは寂しい動員の日も増えていたように思います。
06年最後のプライドも人は沢山いましたが、ベイサイドも最後だから行っておこうという人もいたんじゃないかなーなど。


■ハードコアプライド前後のお話

先述したようにハードコアプライドはベイサイドジェニーの閉鎖に伴うような形で2006年に開催されたVol.6にて幕を閉じますが、99年~00年あたりの盛りがっている時期をキッズとして入り口にしていた自分は、その前から全体が若干の盛り下がっている?ような空気感をキャッチしていました。
何かが終わっていくような予兆というか、色んなものが飽和状態というか。
これは別に俺だけの感覚だったわけではないと思います。

自分は京都だったので、いわゆるあの頃の京都ハードコア隆盛期の真ん中あたりを通り抜けましたし、少し違った感情も持っていました。
しかしながら、自身でもオリジナルのバンドをスタートさせてはいたものの、関西各地のローカルGIGの集客が思ったほど伸びない日が多かったり、自分がコミュニティに飛び込んだ頃のような期待する熱量をそれほど感じられない日も増えていったんです。

Burning Sign
たぶん2008とか2009

プライド前後であまり今となって話されていないところの話では、03~04年頃の大阪ではMasterpeaceRough Rock Possestが超活動的な時期があり、韻踏合組合やCMKなどHIPHOPやグラフティ畑の人たちも巻き込みながら「Power Play」というイベントに代表されるように、カオス&ジャンクな空気感で勢いよく掻きまわしていました。

MasterpeaceのVo.ゴッちゃんはSandがSplitリリースしていたDown Load Playerではドラムを叩いていた過去があったりだとか、SxSxS周辺とも割と近い距離感だったり(そういうの初めて知ったときは割とビックリしました)。

あと前述した2バンドが揃ってプライドに出演したVol.5で、Masterpeaceが特にブチカマしたことは今でも鮮明な記憶として残っています。
こないだのTurnstileを超えるくらい皆んなダイブしていたと思う。
プライドで大きなサークルピットが自然発生したのはこれが最初で最後だったのでは。
速い2ビートのパートなのに、テンション上がりすぎてウインドミルする奴とかも沢山いてマジで異常でしたねw

名古屋のMuder They Fallなどとは別の動きとして、HIPHOPやレイヴなど別カルチャーを巻き込んだ動きは非常に面白かったし、いまWest Side Unityの世代が醸し出している空気感などとも通じる部分はあると思います。

あと自分も特に詳しいわけではなないし声を大きく言える話でもありませんが、この頃の水面下でのグラフティ関係は繋がりも面白くて、そういうのは京都にも繋がってくるものがありました。
いまや京都は表面上だけキレイな観光都市なので街中にグラフはほぼ1個も見当たりませんが、当時は結構あったんですよ。夜な夜な出撃。まぁ、ローソンやマクドの看板でさえ茶色い街ですから仕方なしですかね。

とりあえずイベントに間に合わせるのが優先なので、今回①はこんなところで。
暗黒時代といいながら、こんな感じでそれにとどまらず周辺の話もしていけたらと思っています。
引き続き皆さま宜しくお願いします!

※つづきはこちら後編へ


『PARA MI FAMILIA vol.3』
2024.08.09.FRI at Music Bar HOKAGE

▼Band
NOTIIBELIKESOMEONE
Burning Sign
Paciência

▼DJ
UM8(TAIMA2SOUND/EX-C)
酔大

Open 19:00 / Start 20:00
Ticket Door Only ¥2000+1d



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