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お笑い芸人のオタクしてたら命救われちゃった話〜私にとってのNON STYLE 石田明という人。<前編>〜

石田 明(いしだ あきら、1980年2月20日 - )は、日本のお笑い芸人、俳優、演出家、脚本家である。大阪府大阪市出身。吉本興業所属。NON STYLEでは主にボケとネタ作りを担当しているが、まれにツッコミを担当する。基本白い服を着ている。相方は、井上裕介。立ち位置は左。(_wikipediaより)

これから始まるテキストはいかに石田さんのお人柄が素晴らしいかのお話です。私の石田さんとの思い出話。ファンでいてよかった話。よければお付き合いください。長いので二部作になりそうです。石田さん側からNGがあれば即削除致しますのでご連絡ください笑。

石田さん、40歳のお誕生日前夜祭〜!!おめでとうございます!

私のNON STYLEとの出会いは小学3年生。確かエンタの神様でネタを見たのが最初。それまではレッドカーペットやレッドシアターのブームでコント師と呼ばれる人たちが好きだった。NON STYLEの漫才は明快で小学生の私でも隅々まで理解し笑うことができた。でも初めは井上さんのイキリキャラが本当に苦手で小学生ながらに拒絶していた。今は二人とも大好きで、漫才の天才だと思っています。

小学3年からNON STYLEに心うばれてからというものDVDを買いあさり、出版された雑誌はお小遣いの範囲で保存用と読む用の二冊を買っていました。ライブのグッズもフリマサイトを通して代行購入してもらっていたし、とにかく趣味といえばお笑いだった。NON STYLEの下敷きで勉強すれば、1日で長期休みの宿題が終わるくらい純粋に大好きでした(笑)石田さんが結婚した時はショックで(笑)学校をお休みしちゃうようなファンでした。

小学6年生。2011年3月11日。

東日本大震災。卒業式1週間前。私の地元岩手県釜石市は甚大な被害を受けました。あの時私は、海岸で釣りをしていました。(この時の詳しい話はまた今度)命からがら高台に逃げなんとか助かりましたが、自分が住んでいたまちが目の前で怒りをぶつけることのできない津波に壊されて行くのがたまらなく辛かった。私だけが生きていていいのだろうかという気持ちに苛まれ、髪を抜くというショボい自傷行為していた私は、日本赤十字社の簡易病院でPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されました。

たくさんの先生にカウンセリングしてもらいましたが、震災の記憶を思い起こすのは当時辛く次第に行かなくなってしまいました。瓦礫を撤去する音が耳にこびりついて離れず、目を閉じれば津波の映像が脳内で再生される。そんな私を救ってくれたのは紛れもなくNON STYLEの二人でした。電気もガスも水道も通ってなくて、まあそもそもライフラインを通す家がなかった。学校もないし時間だけは山ほどあって、日中の明るい時外でお笑いの雑誌ばっかり読んでいました。笑っている時だけ震災のことを忘れられました。


確か震災から1週間後、やっと電波が通った携帯で石田さんのブログを見た時のこと。

こんな時だからこそ笑わすのが仕事ちゃうんか?
辛い時やからこそ、このブログ見てもらえた時にクスッとでもしてもらえたら意味があるんちゃうか?
だからおれやります。
不謹慎やとか叩かれるかもしれない。
でも逃げない。みんなめちゃくちゃ戦ってるんやから。
気分悪くした方はすみません。
全力でふざけます!
これがおれのできることやから。
(「いしだあきらのオカヤドカリなブログ」2011.3.15より引用)

こうつづってあった。石田さんが無事だった安心感と私みたいな震災で辛い思いをしている人を元気づけようとしてくれているのがものすごく嬉しくて今でもこのブログを見た時のドキドキを覚えています。

このブログを境に石田さんは毎日漫才のネタをあげてくれるようになりました。当時、円形脱毛症と不眠症、PTSDの幻聴幻覚に悩まされる日々の中で石田さんのブログだけが楽しみでした。その後見事、お笑いを見続けてPTSDが良い方向に向いて行きました。(ここで誤解しないで欲しいのはPTSDはお笑いを見れば治るということではないということです。音楽聴いて治る人もいればダンスやスポーツで治る人もいるみたいで、治療法は様々。そしてPTSDの完治の定義はわかりません。)

中学校に入って、ひょんなことから吉本興業さんに取材を受ける機会があり、その時社員さんのご好意でNON STYLEお二人からサインと石田さんからは私物のペンケースをいただきました。

<20120602>その翌年、人生で初めてNON STYLEの「カウントダウンライブまでのカウントダウンツアー」の仙台公演に部活をサボって行き、終演後の握手会で石田さんにサインのお礼と命を救ってくれてありがとうという話を、ずっと憧れていた命の恩人を目の前に過呼吸になりながら伝えることができて、石田さんが覚えていてくれて5分以上話しても(迷惑な話ですが)社員さんがあたたかく見守ってくれて本当にありがたい時間を過ごした私は、次の日部活をサボったのがバレて叱られても幸せな気持ちでした。

<20140323>多分その次に会えたのは、2年後の岩手県大船渡市で行われた「THE MANZAI&AKB48スペシャルライブ in みちのく合衆国」だった。完全抽選で行われたライブだったが運良く当選し、座席も会場で抽選するタイプだったが運良く3、4列目が当たりめっちゃ近いところで見れた。なにより漫才が終わってからのコーナーでMCの人がNON STYLEの二人に岩手はいつぶりですか?と聞いて石田さんが完全に舞台上から客席にいる私に「何年ぶりやったかな?」と聞いてくれて「6年ぶりです」と即答しMCに「6年ぶりです」と返したのはめちゃくちゃ胸熱案件でした。

そんな石田さんとの出会い。単に好きだった人から憧れの人、人生の目標とする人に変わって行きました。

今日はここまで!明日、「中学でグレていた私がお笑いオタクやってたら有名私立大学に入ってしまった話〜私にとってのNON STYLE石田明という人<後編>〜」でお会いしましょう!見逃さないためにも、よければフォローお願いします!!

後編 https://note.com/terayuki0217non/n/n55d1dfbb28dd

<てらさきゆき> 岩手県釜石市生まれ 慶應義塾大学在学中お笑いとお酒と釜石を愛してやまない女子大生の備忘録。将来の夢は地元で働きながら片手間にスナックをすることです。                                 【お問い合わせはこちら terayuki0217non@gmail.com】  

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ゆき
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