テラシマ ヤスヒロ

物書き、編集者、グラフィックデザイナーというお堅いこともやりながら、心身のサポートをす…

テラシマ ヤスヒロ

物書き、編集者、グラフィックデザイナーというお堅いこともやりながら、心身のサポートをするボディワーカー、ダンサー、即興演劇という柔らかいこともやっています。今は「森と水と身体性」について探求中。京都市在住。企業広報誌のコラム執筆中。コラム執筆依頼受付中!

最近の記事

プライドは必要か?

 私の妻の連れ子の一人が大学を休学している。彼女はやりたくない勉強を何となく続けるくらいなら、やりたいことを見つけるために時間を確保する決断をした。彼女なりに動いているのだとは思うが、家にいる時間が多いので、見ている大人もつい窮屈に感じてしまうときがある。でも、私も大学生のときは同じような状態だった。  私は就職活動をせずに大学を卒業した。周りが就職活動をするからといって、自分の将来を何となく決めることができなかった。周りと違う行動をすることに不安はあったが、やりたいと思えな

    • 「言葉」を身体で感じて使う

       コンビニに行くと「レシートをご利用ですか?」と聞かれる。鼻をかむには水分を吸収しそうにないし、メモをするにはクルクルして管理しづらい。レシートをどう「ご利用」すれば良いですか? と聞き返したくなる。そもそも「ご利用」ではなく、「ご入用」の言葉の間違いなのだが、何となくこれを良しとしてしまっている雰囲気がコンビニの店員だけではなく、私のなかにもありそうだ。  子どもの頃、居酒屋デビューをしたら、「とりあえずビール」と並んで「おあいそ」という言葉を使ってみたかった。なんとなく艶

      • ヤンキーになってみた!

        今年から即興演劇を始めた。 演劇というと趣味のように思われるが、 ビジネスや人生において、 問題が起こったときの対応力を養える 素晴らしい手法だと思う。 私は自己啓発の本をたくさん読んできだが、 本の情報を頭に入れるだけでは、人は変われない。 思考を満たすことで、変わるような気になるだけで、 行動が変わらなければ結果が変わることはない。 人が変わっていくためには、 行動して体験から起こってくる自発的な気づきが必要だ。 即興演劇にはその可能性がある。 即興演劇には、台本が

        • かっこ悪いことを堂々と

          私はかなりの「ええかっこしい」だ。 「人に一目を置かれたい」という欲求が 心の奥底にあるのかもしれない。 私が小学生のとき、一番嫌いだったのが勉強だ。 嫌いというより、勉強をする意味がわからなかった。 宿題のプリントやドリルをやったことがなかったし、 国語の本読みカードは自分でハンコを押して提出していた。 毎日のように「宿題を忘れました」と担任に伝えていたが、 今思うと、毎日忘れるということは、うっかり忘れるレベルではない。 単にやる気がないだけだ。 勉強をするより、

        プライドは必要か?

          心配は優しさか?

          時々、一人暮らしの母に電話をする。 特に話すこともないが、 声を聞くだけで元気かどうかわかるし、 母は極度の心配性なので、 私の近況を伝えることで 母を安心させることができる。 母は子どもを心配することが 母親の務めだと思っているのではないだろうか。 口が開く度に「心配だ」と言っている。 そのくせ、私の仕事のことも、 何をしているのかわかっていない。 一体何を心配しているのだろうか。 「心配すること」が優しさだと考えている人は多い。 しかし、本当にそうなのだろうか。 心

          心配は優しさか?

          何系のダンス?~人は考えるのが好き~

          ダンスを始めた。というと、 「何系のダンス?」と聞かれる。 話を聞いてくれることは有難いが 詰まらない質問だなと思ってしまう。 ヒップホップとか、ラテンとか、 そういったジャンルを答えて欲しそうだ。 人はわからないものがあると、 すぐに整理して枠にはめたがる。 それは脳が理解する仕組みがそうだから仕方がない。 脳が理解する仕組みは、 口が狭くて底が広いワインボトルを イメージするとわかりやすい。 理解するということは、 ワインボトルの中にものを入れることだ。 それ

          何系のダンス?~人は考えるのが好き~

          父の背中

           私の父は建築業を自営していた。私が生まれた38年前は、仲間と不動産業をやっていたようだが、私が生まれた後すぐ夜間高校へ行き、建築の勉強を始めた。当時の父は30代。今ではあまり珍しくはないが、当時は30代で子供2人を抱え、自分が歩んで来た道を変えようと勉強を始めるのは、なかなか勇気のいる決断だったと思う。今のように、何かを始めるための選択肢が多くはなかっただろうし、途中で道を変えることに寛容な世の中ではなかったのではないか。現に地元の新聞で「頑張る中年」というタイトルで取り上

          Google map

          私はどこに行くときでも、グーグルマップを使う。 特に電車で移動するときは便利だ。 一度も行ったことのないような駅での 乗り換えも何も考えることもなく、 スムーズにいく。 グーグルマップがあれば、 電車の乗り換えに困らないという 心理的な安心感は機械ながらに 愛情すら感じるときがある。 車での移動ときは、 グーグルマップをカーナビのように 使っているが状況が一変する。 「対向車が来たらどうする?」と 不安になるような極端に狭い道を通らされたり、 誰も通らないような山道を

          自由の女神

          海外に行った経験は多くないが、 ニューヨークの位置は大体わかる。 行ったことがなくても、場所はわかる。 これは本当にその場所をわかっているのだろうか。 行ったことのない土地に足を踏み入れると、 思っていたイメージと違った。ということが多い。 いや、むしろ、行ってみて初めて その場所を知ることができる。 だから、自分の言葉でそこで体験したことを 堂々と話したくなる。 海外へ行ってきた人のなかには、 限られた時間で観光地を数カ所周っただけで、 その国のすべてを見てきたかの

          道端で立ち止まる人

          最近、道端で立ち止まっている人をよく見かける。 通りを見渡せば、ざっと10人程いるときがある。 何をしているのか?は、 ご想像の通りスマホを触っているのだ。 きっとスマホで誰かと連絡しているのだろう。 しかし、道端に立ち止まっている全員が スマホに夢中になっている光景は異様だ。 なぜ立ち止まっているのかの理由が 想像つくからいいものの、 理由が想定できない状態の 十数人が道端に立ち止まっていると想像すると、 きっとすごく怖いと思う。 走って通り抜けたくなる。 椅子でも

          道端で立ち止まる人

          前提を崩してみる

          私は家族というものがあまり好きではありませんでした。 幸いなことに親が厳しすぎるとか暴力を受ける ということはありませんでしたが、 私にとって家は安心できる場所ではありませんでした。 まるで白い羊の群れのなかに黒い羊が一匹いるような 家族に馴染めない子ども時代を過ごし、 成長するにつれ会話もなくなり、 ただの同居人のような関係のまま大人になってしまいました。 子どものころキャンプやスキーなどに 連れて行ってもらったこともあるのに、 家族との記憶はすぐに消えてしまうようにな

          前提を崩してみる

          スケジュールって難しい

          グループで仕事をしていると、 「ネットでスケジュールを共有しよう」という意見が出てくる。 その方がお互いのコミュニケーションがスムーズになり、 仕事の効率が上がるだろう、というのだ。 しかし、いざやってみると、効率が上がるどころか、 やることが増えて効率が下がっていることがほとんどだ。 一体あなたの言う「効率」とは何なのか?とツッコミたくなる。 便利なデジタルツールを使うことが 仕事になってはいないか?を考えてみて欲しい。 私はスケジュール管理を手書きの手帳でしている

          スケジュールって難しい

          人の心を動かすには

          最近、やっと文章を書く楽しさを 感じられるようになってきた。 これまで文章を書く仕事をしていたにも関わらず、 こんな風に感じることは一度もなかった。 宣伝の文章は誰かを対象に何かの行動させる目的がある。 あなたに必要ですよね?だからこの商品を買いましょう。 という風にだ。 言葉で人の心を動かしてみたくて、 コピーライターに憧れて仕事をするようになったが、 ずっと満たされてなかった。 ずっと窮屈感があった。しかし、当時は何故だかわからなかった。 ダンサーが踊るのを見るイ

          人の心を動かすには

          「便利」が体験を奪い、 生きる力を弱くしている?

          考えすぎて動けないのは、 「体験」が少ないからかもしれない。 どうして体験が少なくなるのか?   * 私は人がやらないことをやることが好きだ。 その体験のなかに、心身ともに心地よく生きるための ヒントがあると考えている。 今、やりたいのはスマホを辞めること。 便利だけれど、その便利に支配されているように感じる。 いつでもお構いなしに連絡が入り、 そのほとんどがこちらが返答するのを前提としている。 「絶対返信ルール」がある訳ではないが、 返答しないという選択肢は、 社

          「便利」が体験を奪い、 生きる力を弱くしている?

          あなたはどんな風に見送られたいですか?

          (この記事は2018年1月に執筆しました) 毎年1月は父を思い出します。 2010年の大晦日の夜、父が倒れ、 私は不安を抱えたまま、病院で新年を迎えました。 そのとき父にははっきりとした意識はなく、 意味不明なことばかり話していました。 唯一わかったのが「愛子(母の名前)好きや~」でした。 普段まったくそういった態度を見せないので、 驚きもありましたが、突然のその言葉に 緊張がふっと緩んだのを覚えています。 それから2週間、私は病室で父の身体に触れ続けました。 私にでき

          あなたはどんな風に見送られたいですか?