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父の背中

 私の父は建築業を自営していた。私が生まれた38年前は、仲間と不動産業をやっていたようだが、私が生まれた後すぐ夜間高校へ行き、建築の勉強を始めた。当時の父は30代。今ではあまり珍しくはないが、当時は30代で子供2人を抱え、自分が歩んで来た道を変えようと勉強を始めるのは、なかなか勇気のいる決断だったと思う。今のように、何かを始めるための選択肢が多くはなかっただろうし、途中で道を変えることに寛容な世の中ではなかったのではないか。現に地元の新聞で「頑張る中年」というタイトルで取り上げられたこともあったようだ。
 当時の私の記憶では、毎日夕方になると学校へ出かけていく父の背中の印象が残っている。家の前の道路に出て見送るのだが、その背中が夕日に照らされ少しずつ小さくなっていく。何度も振り返り、手を振る父はどんな気持ちだったのだろうか。
 父は夜間高校での勉強が終わると、建築士の資格を取って建築業で独立した。事業はうまくいっていた時期もあれば、そうもいかない時期もあっただろうが、裕福ではなくとも、家族4人を養う責任を果たした。家では無口でろくに話すこともなかった父。私は父が何が好きで、何が嫌いか、若い時はどんな子供でどんな遊びをしていたのか、母との馴れ初めとか、何も知らない。私自身が親とのコミュニケーションを諦めていたこともあるのだが、膝を突き合わせて話したことがなかった。父は私の父親で本当に幸せだったのだろうか。ときどきそういうことを考える。7年前に亡くなってしまったので、もう聞く術はないのだけれども。 
 そんな私も今は自営業。20代はサラリーマンをしたが、自分が本当にやりたい職業を追求するのを諦めなかった。その経験を活かして、30代になってから自分で仕事をするようになった。大変なこともあるが、目の前の人に喜んでもらえるのは嬉しいし、自分の責任で動くことで成長できることもある。
 当時の父の年齢を超えたら少しでも気持ちがわかるだろうと想像していたけれど、当時の父の年齢を超えた現在でも、やはり父の気持ちはわからない。当時の父の背中の印象が今でも私を暖かくしてくれる。私は誰かにとってそんな背中を見せられているだろうか。

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