ゼツメツしたくない。


本を読んで泣いたのは久々だ。しかも、電車の中だった。目の前に座るお姉さんのの輪郭が、涙のせいでほどけていく。見られたくないなあ。変な奴だと思われたくないなぁ。周りにばれないように、時期は少し早い気もするけれど花粉症のふりをしてティッシュで鼻をくるんだ。

悲しくて、悔しくて、辛い。登場人物たちの寂しさと、彼らの周りの人たちのことを思うと、涙が止まらなかった。決して明るい話ではない。だが、真っ暗闇で終わるわけでもない。ふしぎのつまった話だった。

ゼツメツしたくない

これは、踏みにじられた少年たちの物語。誰の心の中にもある、大切にしてきた心の核になるようなものたちを他人に壊されてしまった者たちの、ゼツメツの話だ。

自分の中の、壊されたくないものがある。誰かに対する思いやりであったり、悪いことを許さない正義の心だったり、ぴかぴかに輝いている思い出だったり。その種類は人によって様々であり、生きていくうえでずっと大事にしてきたものだ。見せびらかすでもなく、誇るわけではない。ただ、これまでの人生を通して大事に育ててきたものが、わたしがわたしであることを肯定し、認めてくれている。支えてくれている。

そんな風に大切にしてきたものは、いったいどうやったら守ることができるんだろう。社会で生きていくうえで、心の真ん中が周りと違ってしまったらどうやって生きていけばいいんだろう。

不安が歩いてくる音がする

この物語は、上の問いの答えをくれるものじゃない。

ふだんの重松清氏の作品は優しい。トラウマを抱えていても最後には必ず救いがあって。ああ、生きてきてよかったって思わせてくれる。最後は物語の力で主人公たちが救われてくれるから、安心して読むことができる。

でも、『ゼツメツ少年』は違うのだ。物語の中に空想と現実が入り混じるから、どこまでが作中のホントで、どこからが作中でのウソなのかが分からない。誰の目線も信用ができない。いつもは、わくわくしながらページを進めるけど、子どもたちが自分たちの抱える苦しみから解放されるにつれて、不穏な影も大きくなる。嫌な予感が頭に浮かびながら、「嫌でも最後は救ってくれる」と信じながら読み進めるしかないのだけど。

また、会えたね

また、作中には、重松氏がこれまで編んできた物語の登場人物たちが出てくる。『青い鳥』、『君はともだち』、『きよしこ』、『ナイフ』などから。本を閉じた後もその後の人生が気になっていた彼らが、ひょっこり顔を出す。それは、昔の恩師に偶然道端で会ったときのうれしさに似ている。びっくりして、嬉しくなって、変わっていないところと変わったところをしって、時の長さを感じて。喜びとさみしさを感じて別れるのだ。お元気で、なんて言いながら笑って会釈するのだ。なんだかそんな気持ち。

不思議な物語

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