見出し画像

アート独り言。(本職?人間だ。「展覧会 岡本太郎」@愛知県美術館)

午前中なかなかのしんどい予定をこなし、愛知県美術館に向かう。
平日のお昼だけど、名古屋は人が沢山だった。名古屋駅から栄駅までに向かう地下鉄のホームの床が見えないくらい、人で溢れていた。

「展覧会 岡本太郎」は昨年12月に東京に行ったときにちょうど東京都美術館で開催されていたが、残念ながら休館日。がっかりしていたら愛知でも巡回があると知って歓喜。愛知県で岡本太郎の回顧展が開催されるのは初。

10Fで降りて奥に進むとグッズ売り場が広い・・・(もちろん、鑑賞後散財した)

入ってすぐ目に飛び込んできた梵鐘「歓喜」。その造形の美しさを最大限に引き出すライティングにいきなり心を奪われる。

そして小さいころ良く行っていたラインパーク(現・日本モンキーパーク)にあった「若い太陽の塔」。
ああ、岡本太郎の作品を観に来たのだと、胸がいっぱいになった。

若い太陽の塔

モザイクタイル画は、岡本氏が浴槽を新設した際に施工を担当した伊奈製陶(現・LIXIL)がモザイクタイルを紹介したことがきっかけだとか。愛知と関わりの深い作品を愛知県で見ることが出来るのだ。

キャプションに書かれていた通り、ピカソや縄文土器に多大な影響を受けたり、戦争や第五福竜丸の被ばく事故など、過去の痛ましい事件などを風刺した作品たち。有名な「傷ましき腕」も見た。表情が描かれていないのに、無数の感情が伝わってくる。(1936年パリ時代に描かれた作品だが、戦火で焼失したため再制作された作品)

平面作品はとても濃い色で力強く塗られている。

その中でも一番目を引くのは黒い線。一番最後に引かれたようにも見えるが、よく見るとその上から白がのせられたり、他の色をヘラなどで引いたように描かれている。

作品の一部

刺激的な平面作品と相反する立体作品。立体はどこか可愛らしく癒される作品が多い。

ベトナム戦争の反戦メッセージ広告は、「○すな」というストレートな一言。強烈な言葉が美しい造形と化していた。

平面、立体以外にもメディアに多く露出していた頃の「マクセル ビデオカセットテープ」のCMや、NHKのアーカイブなども流れている。

岡本氏のドローイングの様子も、魂が籠っていて、生きるために作品を作ること以外選択肢などないと言わんばかりに主張してくる。


後半、岡本氏の言葉が壁中に書かれた空間。

そこに書かれた言葉を見て、涙が出そうになる。
しかし誰も泣いてない・・・泣いたら恥ずかしすぎる。
一歩前に進んだら涙がこぼれてしまう。目の前には監視係の方が待ち構えていた。。。
しばらくCMに見とれているフリをしてずっと立ち尽くす。

少し落ち着いてからなんとか先を進み、太陽の塔の設計図や太陽の塔のミニチュアも見ることが出来た。

「生の人間の感じられるというつもりで 孤独に永久的に立たされている」
孤独を恐れず生身で戦ってこそ人間だ・・・
だれしもがぶつかる壁を乗り越えるようエールを送られている気持ちになった。

「調和とは、ぶつかり合うことだ。」

そのまま、晩年の作品を観るも、力が入らなくなっていた。
一番最後には未完成のままの作品が飾られている。未完成でありながら、これほどの力強さを出せるのは凄すぎる。

生きるのに疲れていたり、立ち止まっていたら、何か得るものがあるかもしれない。

会場を出ると、座ることを拒否する椅子が置かれていた。

 

お尻が痛かった。

おわり




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?