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アート独り言。(変わりゆく街。)

リノベーションスクールの公開クロージングを視聴した。

リノベーションスクールは詳しくは知らなかったけど、都市再生の話は興味深いので見ていた。

若い方も含めいろんな方が、岐阜柳ケ瀬の遊休化不動産の活用方法をプレゼンしていて面白かった。
2日間という短時間での話し合いなのでブラッシュアップは必須だとは思うけど、まちづくりに興味を持つきっかけにもなるのではないかなと思った。

若い方は昔の活気あった柳ケ瀬を知らないと思うけど「どんなイメージなんだろう?」と疑問に思った。もしかしたら昔からドン・キホーテがあったと思っているかもしれない。

需要ゼロな内容かもだけど、書き残しておく。

「私と岐阜、そして柳ケ瀬」

【幼少期】
母に連れられて神田町通りにある回転寿司に連れていってもらった。
新岐阜百貨店も行く。
今から思うと笑ってしまうが、このコースが本当にスペシャルだった。
昔すぎてこれ以外覚えていない。

【中学生】
劇場通りにある沢山の映画館へ。ぼんやりとしか記憶しかないが、柳ケ瀬は映画の街だと思っていた。新聞の映画欄を見るのが好きだった。岐阜日日新聞。
衆楽70ミリ、ピカデリー、ぺルル・・あとは思い出せない。そして何の映画を観たかも思い出せない。

【高校生】
パルコ、SENSOR、SENSOR2でウインドーショッピング。パルコの地下でクレープやラーメンを食べていた。クレープやさんはダイエーだったかもしれない。
パルコには今の岐阜県美術館の館長、日比野克彦さんのショップがあった。(最近、日比野さん知らないと言われて少しショッキングだった。)
↓テレビ引っ張りダコの時代

ペーパームーンも行っていた。
懐かしい。
路面電車もまだあった。

【社会人 バブル期】
バブル全盛期にOLだった私。
会社は湯水のごとく経費を使いまくり、毎日柳ケ瀬のスナックやクラブに行く日々。
柳ケ瀬には本当に沢山の飲み屋さんがあった。
帰りは会社経費のタクシーチケットを渡される。
男性陣は西柳ケ瀬に消えていく。

タッチオブゴールドという、壁にマネキンの手が埋め尽くされた店が好きだった。古すぎて検索しても出てこない。
忘年会は、マハラジャ岐阜。(※追記 ディスコです。ディスコは踊るクラブみたいな所です。若い方向けに書いてみた)
ド派手な衣装のお店が近くに並んでいた。

【大人期】
バブル崩壊後に少しずつ変わりゆく。
子育て全盛期には全く足を踏み入れることがなくなる。ショッピングモールでなんでも揃ってしまったからだ。映画もシネコン。ますます行かなくなる。

しかし、2012年の自主制作映画をきっかけに、度々行くようになる。
シネマスコーレの支配人と一緒にロケハンしていたらPVの撮影に遭遇。
バンドの人々は、なんかヤバい人が来たと言わんばかりに撮影を止めてしまった。
↓マサムラさん、美味しそうだ。

脱線しすぎである。

昔の風情を残しつつ、活気のある街になっていくといいな。

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